小学生の頃、どんな小さな町にも、1軒や2軒は、映画館があった。最大の娯楽が映画だった。
子供向けの映画は年に1本ぐらいしかなかったが、大人と観ても楽しめるのも沢山あった。
鞍馬天狗や白馬童子などは、そんな作品だった。美空ひばり、東千代介、中村錦之介、
長谷川一夫、原節子、山本富士子、嵐寛寿郎、大河内伝次郎、華々しいスターたちがいっぱいいた。
たまに父と観たり、従妹に連れて行って貰ったりした。映画館はすっぱい臭いがする、スルメやすこんぶ、
そんな臭いと便所の臭いが、鼻をつく。それでも暗闇に入るとわくわくし、いつの間にか臭いは消えていた。
従妹の家は、塀がとても長かったので、映画館の人が、ポスターを貼らせてくれと頼んで来て、映画が新しく
変わると、チケットを2枚づつ置いていった。だから毎週沢山のチケットがあり、余るぐらいだった。
洋画もあったし、封切の人気映画のも、もちろんあった。映画のポスターが変わる日はわくわくした。
全部観たかったが、大人達が優先されていたから、たまにしか連れて行って貰えなかった。
それでも、子供としては、クラスの中で、映画を随分と観ている子だったと思う。
なにしろ東大阪の全映画館のポスターが貼られていたのだから。
叔母は盛んにおばあちゃんを誘っていた。しかし、ガンとしておばあちゃんは観に行くと言わなかった。
おじいちゃんが目が見えないのに自分だけ映画を観るなんて出来なかったのかもしれない。
「わては活動写真なんか、じゃま臭いわ!あんなん、観いひんわ!」と何時も言うのだった。
<おばあちゃんが行かなかったら私が、行きたいのにもったいないなあ、中村錦之介も出るのに>
叔母は、何故か、何度も誘いに来ていた。タダ券だからというのもあっただろうが、おばあちゃんを
楽しませようとしていたかもしれない。
ある日どうしたのか、とうとう、叔母の誘いに根負けして、歩いて5分の南座に足を運んだのだ。
すると、あんなにじゃま臭いと言っていたのに、それからは毎週行くようになった。
観に行った日は、ご機嫌で、私は学校から帰るのが嫌ではなかった。おじいちゃんに観た映画を
事細かく、内容を説明していた。それは夕食の時に始まり、お布団に入ってからも続いていた。
おじいちゃんは、何時ごろからか、目が見えなくなったのだから、的確な説明で想像していたのか、
聞いていて楽しそうだった。私など横から入って、「どうなったん?杉作は?」とか、聞くような隙間は
なかった。それくらい二人の世界があった。ニコニコ黙って聞いているおじいちゃん、「それでな、アラカンが
そこに出て来て、悪い奴を切って切って切りまくり、皆、蜘蛛の子をちらしたように、逃げていってな・・」
「ふ~ん」「それでな・美空ひばりがな・・・・」「次は錦之介とひばりやで・・・」と。
隣のへやから、二人の会話が心地よく、子守歌のように聞こえていて、いつの間にかに眠りについていた。
アラカンの鞍馬天狗