ののが綴る徒然日記
懐かしい風景や陶芸・演劇等を綴っています
2014/5/29 幼き頃から
近畿三市共通のしおり。ふるさとをあとにとは、
いかにも時代を感じる。
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以前にも、祖母の家に家族で転がり込んだ時、祖母は幾つだったか、計算してみた。 77歳だった。見た目には、本当におばあちゃんだったが、元気は...
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さてさて、昭和35年頃の東京へご案内。 いろいろ思い出す人もあるかも。 きぼうと言う列車に乗って、いざ、東京へ!
やはり私の感は大当たり!このところ、嫌な予感が胸を締め付けていた。 Aさんのお腹は日に日に大きくなり、実家に帰る事が多くなった。 ...
昔、店をしていた頃、お客の常連とスタッフで、雑誌を発行していた。 『夏休みの友』というのだ。殆ど仲間内での雑誌だったが・・。 中心になっ...
夏休みに梅田のおばちゃんの家に預けられ、そのまま小阪に帰らず二回ぐらい 何故か箕面の料理旅館に預けられた。 母が出た日から私は子供ジプシ...
上野・浅草。国際劇場の踊り子さんたち。画期的だったのだ。
梅田で遊んでいた時の大事なガラスは「ケンパ」と判明。そうかなぁとおぼろげに思っていたが、 東京の知り合いのAさんより早速連絡あ...
小学3年生の頃になると、一人で銭湯に、行けるようになっていた。 おじいちゃんが行っていた銭湯は、町では古い方で、隣が酒屋で立ち飲み屋があっ...
箕面には、次の年の夏休み、梅田から従妹も誘って行く事になった。 父は、二人だと退屈しないで居れるだろうと、考えたのかも知れないが、従妹は、...
クラスで、なんでも、持ち得た男の子が、市川で、女の子はAさんだった。 背は男の子をも、抜いていて、すらっとしているし、目が黒々として、眉毛...
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