1年生になって何時も一緒に帰る女の子がいた。どうしても名前が出てこない。
帰る道が同じでその子が先に家に着きそれから時々私の家に来ることがあった。
あんなにいつも一緒だったのにどうして名前が出てこないのか不思議でならない。
洋子ちゃんははっきり覚えているのにこれは残念でならない。
ある日の帰り「ここで待ってて」といつも土手のところで待つように言われ座って待っていた。
家は土手の下で原っぱか畑かの所にある小屋のような建物で窓が木のツッカイ棒で開けている。
その日は中が丸見えだった。昼ごはんで皆何か回してかけている。どうも醤油のようだった。
美味しそうだったので私はそのまま家に飛んで帰り、同じようにご飯に醤油をかけて食べようとした。
母に見つかり行儀が悪いからしてはいけないと叱られた。あの子の所で皆して食べてたと言っても
食べさせて貰えなかった。しかし、母はその子の家の事は何も言わなかった。
またある日、その子に「今日な凄くええ事があるから着いといで!」と誘われた。
行くと大勢人が列を成している。一番後ろに二人で列に着き、歩いて階段を登ったりと
随分と時間がかかったがなかなか<ええ事>が起こらない。
何か妙な気持ちがあったが一人で帰るにも道も分からないし何より<ええこと!>にわくわくしてたから
その場から動けなかった。いよいよ<ええこと>が来た。皆に何か配られている。「これか!」
私の手にも紙に包まれたカステラのような小豆色のお菓子が渡された。
「な!ええことやったやろ!食べて良いよ」と誇らしげに言われた。
少し不安な気持ちを抱えながらも始めて見るお菓子を人から離れた所で二人で食べた。
(美味しい!なんだろう。この味!美味しい!)
でも家に帰って言うと叱られそうでこの事は絶対に言ってはいけない気がした。
どうやら私は在日の人のお葬式に着いて行きお菓子を貰ったみたいだった。
<ええこと>に惹かれ全く知らない人のお葬式に着いていきお菓子を食べた事にホンの少し
(悪いことした)という気持ちを持った。その子も在日だったと後で知る。
しかしそのお菓子の味だけは忘れられずずっと追い求めたが長い間出会うことはなかった。
40歳前に店を始め鶴橋へ買出しに行った時、あった!私の幻のお菓子!長い間探し求めたお菓子!
伸し餅のような大きさで小豆色をしていた。もちろん買っておそるおそる口に入れた。この味だ!この味!
でもあの時の<美味しい!>と言うのではなかった。店の人に聞くとお供え物や日本での法事のような
時に必ず作り、配ったりするらしい。
35年近く探し求めたお菓子に出会ったがあの子の名前は思い出さなかった。
コメント
こんにちわ。
楽しく読ませてもらっています。
こちらでは野球中継が少なく昨日の首位奪還試合もスポーツニュースでチェックしました。
巨人ファンの相方はほくそ笑んでいました。ひひひひひ。
何故中継がないのかな?巨人の放映権が高いから無いと聞きました。
儲けているのにやらしいね。ところで新婚なんでしょうかな?疑問?
楽しんで貰えてうれしいしです。今 母のオペラでブツギがなされています。
皆調べてくれても分からないので母の創作ではないのかと言われだしました。
私はメロディーを覚えているので今度歌ってあげる事になりました。
後は大阪名物探偵ナイトスク‐プしかないですね。