幼き頃・・・46・・・金槌とだるま絵

私のあの大変な、はしかの後、我が家は最悪な状態になった。まるで、私が悪を運んだように。

まずは、私のはしかが原因で父と母の喧嘩が始る。それまでも、私達が寝てしまってから、

喧嘩をしていたようなのだが、こんなに、大きな喧嘩は今まで、見たことがなかった。

あの変な祈祷師の叔母さんが来た悪夢のはしかの日、結局、母は帰ってこなかった。

母は、吹田のおばあちゃんの家に居て次の日に、帰ってきた。

そのことで大喧嘩が始まったのだが、話は別の所に飛んでいたりした。

家はもうどうしょうもないところに来ていて、お金の事で二人とも走り回っていたようだ。

昔世話をした人たちが、沢山いたが、こちらが落ち目になると、誰も知らん顔になったらしい。

そうした事をお互いに「お前が悪い」と言い出して、罵り合いだしたのだ。

小さな私が聞いていても、<人はそんなものか>と、なんとなく分かったような気になっていた。

それまで、いっぱいこの家に遊びに来ていた人たちも、この頃誰もこなくなっていたからだ。

子供は敏感に状況を把握するものなんだ。

そのうち二人は、口だけで納まらず台所の奥に通じている廊下のようなところで、金槌を

投げあいだしたのだ。子供3人は、「やめて!怪我する!」と叫んでいたのだが、二人とも、

聞かなかった。私はまだ、ふらふらする状態で、「わあわあ~~」と泣くことしか出来なかった。

しかし、二人とも加減をしていたのか、金槌は見事に本人たちの前で、上手く落ちていた。

3~4回金槌は宙を、くるくると回り、ど~んと、落ちていた。少し母達は笑っているように

見え出した時、<どん>と、鈍い音、きゃ~~と叫ぶ声!母の足元ぎりぎりに先のとがった

金槌が刺さっていたのだ。一瞬、誰も何も言わないで刺さっている金槌を全員で眺めていた。

そのうち一番に、大声で父と母が笑い出したのだ。そして、次に姉が、「いい加減にしとき!」

と、一言さめた言い方をした。 なんとなく、誰よりも頼もしく見えた。

それ以来、その廊下を通るとき、小さな三角の穴から、ひゅう~と冷たい風が足をなでた。

それからしばらくして、白い紙が家具など、いろんな所に張られ、大好きな家を出ることになる。

頼もしい姉は、家を出る日、ボロボロになった押入れの襖にとても大きなだるまの絵を

襖いっぱいに墨で書いた。 黙って書いていた姉は、頼もしくカッコ良い姉だった。

あのだるま絵は、どんな有名人のよりも勢いが良く、ぐっと何かを見据えていた目は忘れない。

今思うと、姉は小学6年生だった。いろんな物を見据えていたのは姉だったのかも。

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