私のあの大変な、はしかの後、我が家は最悪な状態になった。まるで、私が悪を運んだように。
まずは、私のはしかが原因で父と母の喧嘩が始る。それまでも、私達が寝てしまってから、
喧嘩をしていたようなのだが、こんなに、大きな喧嘩は今まで、見たことがなかった。
あの変な祈祷師の叔母さんが来た悪夢のはしかの日、結局、母は帰ってこなかった。
母は、吹田のおばあちゃんの家に居て次の日に、帰ってきた。
そのことで大喧嘩が始まったのだが、話は別の所に飛んでいたりした。
家はもうどうしょうもないところに来ていて、お金の事で二人とも走り回っていたようだ。
昔世話をした人たちが、沢山いたが、こちらが落ち目になると、誰も知らん顔になったらしい。
そうした事をお互いに「お前が悪い」と言い出して、罵り合いだしたのだ。
小さな私が聞いていても、<人はそんなものか>と、なんとなく分かったような気になっていた。
それまで、いっぱいこの家に遊びに来ていた人たちも、この頃誰もこなくなっていたからだ。
子供は敏感に状況を把握するものなんだ。
そのうち二人は、口だけで納まらず台所の奥に通じている廊下のようなところで、金槌を
投げあいだしたのだ。子供3人は、「やめて!怪我する!」と叫んでいたのだが、二人とも、
聞かなかった。私はまだ、ふらふらする状態で、「わあわあ~~」と泣くことしか出来なかった。
しかし、二人とも加減をしていたのか、金槌は見事に本人たちの前で、上手く落ちていた。
3~4回金槌は宙を、くるくると回り、ど~んと、落ちていた。少し母達は笑っているように
見え出した時、<どん>と、鈍い音、きゃ~~と叫ぶ声!母の足元ぎりぎりに先のとがった
金槌が刺さっていたのだ。一瞬、誰も何も言わないで刺さっている金槌を全員で眺めていた。
そのうち一番に、大声で父と母が笑い出したのだ。そして、次に姉が、「いい加減にしとき!」
と、一言さめた言い方をした。 なんとなく、誰よりも頼もしく見えた。
それ以来、その廊下を通るとき、小さな三角の穴から、ひゅう~と冷たい風が足をなでた。
それからしばらくして、白い紙が家具など、いろんな所に張られ、大好きな家を出ることになる。
頼もしい姉は、家を出る日、ボロボロになった押入れの襖にとても大きなだるまの絵を
襖いっぱいに墨で書いた。 黙って書いていた姉は、頼もしくカッコ良い姉だった。
あのだるま絵は、どんな有名人のよりも勢いが良く、ぐっと何かを見据えていた目は忘れない。
今思うと、姉は小学6年生だった。いろんな物を見据えていたのは姉だったのかも。