幼き頃・・・27・・・苦い肉じゃが

私達、兄妹3人は、小阪の家に、行ってから、殆んど一緒に暮らすことなく、ばらばらに育った。

気の小さい兄は、生まれてから我が儘に、育っていたから、他人の家に預けられ電気工事見習いに、

行かされたのは、あまりにも今までの生活から一変し、一番堪え難いことだっだろう。

仕方が無い事では、あったが、幼い頃<ぼんぼん>と呼ばれたり、<ぼっちゃん>と言われたりして、

育ったから、よけいに、プライドもぐさぐさに、傷ついていただろう。

死ぬ65歳まで、親を恨み、愚痴を言い続け死んで行った兄を、悲しい寂しい人だと、思ってしまう。

その点、私は家が大変になっていく頃だから、良い生活の記憶も全くない。

それがむしろ、私は救われてきたのかもしれない。逞しく生きていくすべを身につけていたのかもしれない。

兄とは、そんなのだったから、滅多に会うこともなかった。姉と私は祖母の家か、祖母の家から15分程

離れている叔母の家か、どちらかに一人づつ、預けられた。叔母の家には12歳ぐらい離れた従妹がいた。

Yちゃんと呼んでいたが、叔母のところに赤ちゃんの時に、養女に貰われて来ていた。

従妹は、それを何時の日か知る事になり、そこから反抗的になり、我が儘し放題で、叔母は困っていた。

おまけに気も強くまた、とても意地悪だった。だから、Yちゃんの気分で、「この子とは合わないから替えて」というと、

私達姉妹は、荷物かなにかのように、入れ替えさせられるのだ。

リヤカーを押して、まるで、寺山修二の映画のシーンにありそうな、小学生と中学生がリヤカーを押して、

勉強机と本とか服とかを、運んでいるのだ。近所の人は、また何をやっているのだと、思っていたに違いない。

叔母の家は、少し広くて、2階建てで、玄関の格子戸を入ると井戸があった。

その井戸には、金魚などを飼っていた。犬も飼っていたので、朝晩の犬の散歩は、私の仕事になった。

後は井戸から水をくんで、庭に水をやることだった。井戸の水を汲むのは、慣れるまで大変で、

上手く出来るまで小学生の私は、随分とかかった気がする。井戸の中に、縄にくくられたバケツを上手く

ほおリ投げないと汲みにくいのだ。その井戸には近所の人も、夏など皆、水を貰いに来ていた。

スイカを冷やしたり、とまとを浮かべたり、表に水を巻いたり、井戸と人の繋がりは、強かった。

家に井戸があるのはが少なくなって行った頃だったのだろう。

叔母は優しい人だったが、私達に優しくすると、また、Yゃんが、ヒステリックになるので、気を使っていた。

すぐに「こんな家に貰われてこんかったら、良かったわ!」と、言っては叔母を傷つけていた。

何かあると、誰かの仕業にして、その度にヒステリックに、なっていた。

21歳の頃好きな人と結婚したが我が儘で、そこのお姑さんとそりが合わず、すぐに離婚して、帰って来たのだ。

それも全部、叔母が悪いと毒ずいていた。Yちゃんは、綺麗なのは綺麗で、小阪でも評判で、有名人では、あった。

時々は簡単なモデルの仕事などもするくらいだった。

「綺麗けど、こんな大人には、絶対にならんとこ」と、私は、Yちゃんを見ていた。

ある日、犬がかってに縄から外れ、外へ逃げ出したことがあった。

その時も、私のせいにして「ちゃんと、見とかへんからや!」と、頭をなぐられた。

「勝手ににげた!」と口答えしたら、また、拳骨でなぐられた。

その日の夕飯に、<肉じゃが>があったのだが、「あっ、肉じゃが、うれしい!」と思うやいなや!

「あんた!私の肉じゃがを横目で見てたやろ!いやらしい子や!人のおかずを横目で見てからに!行儀悪いし!」と、

ぎゅっと口を捻られた。

さすがに、そんなことをした覚えも無いので、悲しく悔しく、涙が止まらなかった。

叔母はその時ばかりはきつくYちゃんを叱ってくれたが、私の涙は止まらなかった。

犬のこと、肉じゃがのこと、なんと理不尽な事と、こんな所に預けられていること、その事を知らない父親とか、

家を出て行った母とか、皆、皆、嫌い!。

しばらくして、井戸の所に行き、井戸の淵を、持ちながら、足をぽん、ぽんと浮かして

<このまま、手を離したら、井戸に落ちるな!きっと落ちるな!>と思いながら、何度か、ぽん ぽんと足を浮かした。

でも、怖くて手は離せなかった。

叔母の呼ぶ声で、中に入り、肉じゃがを口にしたが、ただただ、その日の<肉じゃが>は苦かった。

Yちゃんとは、ずいぶんと年数が経ち、Yちゃんの子供が結婚する頃に、久々に出会うことがあった。

「あんたら、私のこと恨んだやろ?酷いことばかりして、苛めていたな、悪かったわ。」と、言われた。

覚えていたのだ。

私が忘れなかった事。あの時以来、小学生でも自殺を考えるのだと思って生きてきたこと。

時折、ニュースでそういうのがあると、充分に小学生でも自殺を考える気持ちはあるのだと、言いたくなる自分がいたこと。

「そうやな、Yちゃんに子供が出来たら、仕返ししょうと思ってたけど、機会がなくて残念やったわ!」と言った。

でも、<苦い肉じゃが>だったことは、言えなかった。

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