小学3年生の頃になると、一人で銭湯に、行けるようになっていた。
おじいちゃんが行っていた銭湯は、町では古い方で、隣が酒屋で立ち飲み屋があった。
新しい銭湯の方は、おばあちゃんが通いつめた映画館、「南座」が隣にあり、斜め向いには
そろばん塾があり、友達が大勢通っていた。私も習いたかったが、それは無理な家だった。
私にとって一人で行く銭湯は自由なる時間、おばあちゃんの小言から開放される時だった。
映画館の看板や、写真を飽きることなく見て、想像を膨らませ、そろばん塾では窓が開いていると、
目の高さギリギリなのに、必死で背伸びをし、「ごわさんで、ねがいまして~は、56円な~り、
38円な~り、89円では。」「はい!はい!はい!」との、独特の声と、そろばんのはじく音を、
聞いたり、手の動きを見たりを、楽しんだ。それからやっと風呂屋に行くのだ。
こうして、いつも長い寄り道をやっていた。余り長い日は、おばあちゃんに、大目玉をくらったが。
もう一つ、何時も気がかりな人が銭湯にいた。名前も知らないねえちゃんだ。ねえちゃんと言うのは、周りの
大人たちが、そう呼んでいて、よく噂の的にしていたのだ。
「あのねえちゃんはこれから大変やで」「ほんになあ、どうすんねんやろなあ。」「もうすぐ、ややこが出て来るで」
「大変やで」「ほんになあ、えらいこっちゃで!」と噂をしていた。
<どうやらねえちゃんの、お腹には赤ちゃんがいるらしい。そう言えば、どんどんお腹が膨れてきてる。
いつ?どんな風に赤ちゃんは出てくるのやろ?このお風呂屋さんで、出て来るのか?>と。
もう私の想像は毎日そのねえちゃんを見ると、頭いっぱいになり、目を離す事が出来なかった。
大人たちが大変と言っていたのは、どうやら、障害を持っていたからで、どうして育てていくのかと、
言う事だったようだ。また、今なら分かるが誰の子供かと?いうのも、大人たちの一番の話だった。
そんな事は、その頃の私が分かる訳もなく、私はいつ?どんな風に?だけが、関心だったのだ。
<見たらあかん。目を離さなあかん!失礼や、あかんわ。目を離さないと!>と、思うのに、全く
目が離れてくれないのだ。ある日、脱衣所で服を着ていたら、ふと人の気配がし、上を向いた。
ピシャ! 何が起こったのか、何の音?と思った。分からなかった。私は強烈な痛みをほっぺたに
感じていた。 「いつも、いつも!人のこと見てからに!なんやねん!この子は!腹が立つ!」と。
強烈なビンタだった。親にも叩かれた事がなかったから、なんなのかが、分からずにいた。
他の大人たちも、驚いて見ていただろうが、そんなのも見れなかった。
痛くてひりひりしたが、涙は出なかった。「私が悪かったからや。この銭湯にはもうこれへん。」
しかし、半年ほどして、その銭湯に行った。・・・ あのねえちゃんの姿はなかった。
大人たちの噂では、何処かに行ったらしい。赤ちゃんはどうしたのだろう?と思うと、あの日の
痛みが、悲しくよぎった。<私が悪かったんや!>・・・。
コメント
ののさん カツベだよ お久しゅう御座います
元気そうでなにより この店が出来て 9年が過ぎました なんとか続けています
ここは Mnタ に教えてもらいました
あの時のトイレも年月が経ち ずいぶん味のあるトイレになってきました
ののさんの言葉が いまでも 耳に残っています
”このトイレに負けないくらいの 店を作りや”
はい いい加減なつくりですが なんとか かたちになったと思います
ぜひ一度 確認に来てくださいよ
ここはコメント欄なんで また 連絡します
とりあえずは 簡単な報告まで です