おやじ達が家を出るまで、兄も姉も 頭を洗わない不思議なスミちゃんも、
居なくなり、父とA子さん私の3人でのつかの間の生活があった。
中学2年、私のお弁当はまだ25,6歳のA子さんが作ってくれていた。
竹輪を炒めたもの、卵焼き、魚肉ソーセージ、梅干か醬油カツオをご飯にのせていた。
これが毎日だった。この時のトラウマか、その後、魚肉ソーセージが、苦手になった。
その頃、魚肉ソーセージは、活気的な存在で、安くておやつにもなっていた人気ナンバー1!
そんなこんなで、この生活の中で、どこかでストレスがあったのか、少女M子は・・・・。
あ~~あかん ダメや ウ~~クルシ~~ ヤ・ヤ・ヤ やめな~~あかん!
あ~~あかん、こんなことは~~ダ・ダ・ダレカ~~トメテ~~・。
そう・私M子 14才・「ジンタン中毒少女」になった!
ジンタン中毒?あの、ジンジンジンタン、ジッタカッタタツターのジンタン?
中毒?信じられない?そう思われる御仁も居られることでしょう。
それがなんのなんの、この世に実際にあった聞くも涙、語るも涙のジンタン中毒少女ものがたり。
オヤジが、毎日出かけにパクッと口にほおりこむジンタンを、何気なく一口貰ったのが、
ジンタンに手をソメルきっかけに。
それからというもの、毎日少しつづ量が増え、始めのうちは一日一袋40円位のもので、
済んでいたのが三袋110円とか、瓶で買うと600円位のを持ち歩くようになる。
瓶のは、円盤状の入れ物に入れ替え、セーラー服の胸のポケットに何時もジンタンを忍ばせていた。
しぶいじゃ~~ござんせんか!「セーラー服とジンタン!」なかなか経験するもんじゃ~ござんせん!
三分間に一度はパクッ、試験中にもパクッとジンタン。自分一人がこんな快楽に酔いしれては勿体無いと
仲間を増やす。金がなく一袋40円のも買えない時、仲間から分けて貰う。
おやじのジンタンはもちろん盗む。時折ジンタン欲しさに小銭もついでに頂く。こづかいが、500円位なのに
すべてがジンタンに消えていく。全く金もなく、仲間からも貰えない時はジンタンの空の袋を集めて
臭いだけをスーハーと嗅ぐ。電車に乗っててジンタンの臭いがするとそれがおっさんであっても、横に行き、
スーハーと息を吸う。それはそれは大変じゃた~~。
気がつけば舌はジンタン色まっ茶色!顔は、まっ黄色!それを見てどんなにかゾッとした事か!
ゾっとしたってやめられない。ほんで、なんでやめられたかって?
これがまァ単純な事で、誰かが告発して、ホームルームの場でさんざん話題にされて、チャンチャン!、
ここで、やめられたのが14才の少女だったのだ。チャンチャン!
瓶入りは こんな形だった。今もあまり変っていないようだ。
ちなみに私の住んでいる枚方にジンタンの工場があるらしい!近づくまいそ!近づくまいぞ!