祖母が、夏休みになると、私などの事を持て余し、しんどかったのもあり、
よく親戚の梅田の家に預けられたりした。
梅田は、私が日ごろ過ごしているところとはまるで違う別世界だった。
その場所は、阪神百貨店の裏で、今、梅田第4ビルになっている。
その親戚には従妹もいて一番好きな人たちだった。
祖母と祖父が駆け落ち同然で一緒になり、その後、父の妹として生まれた叔母だ。
やさしく、祖父に似ていた。その家は あまり大きくはないのだが、階下を商店に貸していて、
うず高く積み上げられた毛布が、夏でもあった。その辺りは、戦後バラックのようなのが、
次々と立ち、路地が入り組んでいた。戦後の商売の名残りだったと思うが毛布や布を扱っている問屋が
ひしめきあっていた。 親戚の家の隣は、パチンコ屋だった。パチンコ屋も、珍しく、住んでいた
東大阪にはまだない時代だった。それに、早くも水洗便所があったのだ!。上から鎖のようなものが、
ぶら下がっていて、瀬戸物の握りがあり、引っ張るのだ。毎回、びくびくしながら用を足す私だった。
だから、梅田のその場所は、本当に都会だったのだ。
隣のパチンコ屋のネオンがキラキラしていてまぶしかったが、私が興味を抱いたのは、その辺りに
ウロウロする大人たちだった。
何か怪しげで、目を話す事が出来ず、二階の窓からずっと見ていた。
* まず オバサンたちが 黒いエプロンをしていて なにか物色していて怪しい?。
* 次にパチンコ屋から出てきた男たちが、ウロウロ、キョロキョロと、していて怪しい?。
* オバサン 男に近づく 怪しい?。
* オバサンと男 暗い路地の隅に行く 怪しい?。
* オバサン エプロンからお金を出す。怪しい?。
* 男タバコを渡すと、すばやく金を受け取り消える。怪しい?。
私にはすべて怪しい情景だった。が、ドキドキしながら飽きずに見ていられた。想像が膨らむ。
後に分かるのだが、パチンコをギャンブルとして認めていない頃で、たばこを現金にするのは違法で警察が
目をつけることだったみたいだ。
それを小学3年生の女の子が怪しいと思い2階から、ずっと見ていたのだ。光景の方が可笑しい。楽しかった!
それを小学3年生の女の子が怪しいと思い2階から、ずっと見ていたのだ。光景の方が可笑しい。楽しかった!
でも 路地からは何時も鼻をツンとさせるおしっこの匂いがした。
映画館と同じ匂いだった。
左の写真は、高校生になって久々に、尋ねた梅田の家。
この2階から、じっと見ていた私がいた。
まだ、繊維問屋街が残っている。60年代に、入っていたかも。