綺麗好きのおばあちゃんは、布巾かけの布巾も歪んでいたら、叱ったぐらいきちんとしていた。
漆喰の土間も、水をまいて流し、後、雑巾で水を拭いていた。時々それも手伝わされた。
あまりにも、叱られるのが多いと、私は、奥の部屋の押入れに隠れた。
そこは、小言を聞かないで済んだし、一人で空想に耽ることが出来た。
宝塚に入って、お姫様役ではなく、おどけて、笑わせる役をしている私。
とてもお金持ちになって、大好きだった高槻の家を買い取り、山で木の実食べている私。
取っておきの話は、学校の皆が遠足で、電車に乗っているとき、危険な事が起こる、
私が<女ターザン>になって、電車の屋根から窓に移り、皆を助ける。
もちろん「あ~~~あ~~~」と、叫んでいるのは、当たり前だ。
みんなは「あっ 女ターザンだ!」と叫ぶ!私はチータも連れていて、あっと云う間に助け出す。
みんながびっくりしている間にまた、電車の屋根に乗り、どこかに消えていくのだ。
この想像が一番、楽しい話だったから、押入れで飽きることはなかった。
私を捜すおばあちゃんの声で現実に戻された。対外はそのまま寝てしまうことも多かった。
今でも、あの押入れが恋しくなる。
あそこに居れば、楽しい事ばかり想像出来る毎日が、今でも送れるのではないかと思ってしまう。
でも、今だと誰にも発見されず、「押入れの中で干からびた老人見つかる!」とニュースになるだけか。
はははは・・・・
その押入れのある長屋は、今も場所は変わらず、存在していた。なんとすばらしい建築なんだろう!
2012年に父の墓まいりの時、あるかどうか半信半疑でその場所に行くと
おばあちゃんと住んでいた家がまだあった。
築80年以上?もっとかもとおもわれるが・・・・。
お隣も続いていたが、左側は切り離されていた。
6件ぐらいの長屋だった、奥に長かった。
玄関など、全て変わっているが屋根の高さ軒の低さはそのままだった。