幼き頃・・・23・・押入れは別世界

綺麗好きのおばあちゃんは、布巾かけの布巾も歪んでいたら、叱ったぐらいきちんとしていた。

漆喰の土間も、水をまいて流し、後、雑巾で水を拭いていた。時々それも手伝わされた。

あまりにも、叱られるのが多いと、私は、奥の部屋の押入れに隠れた。

そこは、小言を聞かないで済んだし、一人で空想に耽ることが出来た。

宝塚に入って、お姫様役ではなく、おどけて、笑わせる役をしている私。

とてもお金持ちになって、大好きだった高槻の家を買い取り、山で木の実食べている私。

取っておきの話は、学校の皆が遠足で、電車に乗っているとき、危険な事が起こる、

私が<女ターザン>になって、電車の屋根から窓に移り、皆を助ける。

もちろん「あ~~~あ~~~」と、叫んでいるのは、当たり前だ。

みんなは「あっ 女ターザンだ!」と叫ぶ!私はチータも連れていて、あっと云う間に助け出す。

みんながびっくりしている間にまた、電車の屋根に乗り、どこかに消えていくのだ。

この想像が一番、楽しい話だったから、押入れで飽きることはなかった。

私を捜すおばあちゃんの声で現実に戻された。対外はそのまま寝てしまうことも多かった。

今でも、あの押入れが恋しくなる。

あそこに居れば、楽しい事ばかり想像出来る毎日が、今でも送れるのではないかと思ってしまう。

でも、今だと誰にも発見されず、「押入れの中で干からびた老人見つかる!」とニュースになるだけか。

はははは・・・・

その押入れのある長屋は、今も場所は変わらず、存在していた。なんとすばらしい建築なんだろう!

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2012年に父の墓まいりの時、あるかどうか半信半疑でその場所に行くと

おばあちゃんと住んでいた家がまだあった。

築80年以上?もっとかもとおもわれるが・・・・。

お隣も続いていたが、左側は切り離されていた。

6件ぐらいの長屋だった、奥に長かった。

玄関など、全て変わっているが屋根の高さ軒の低さはそのままだった。

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