森田 有 脚本集より。
「日の丸」 1983 (原案 赤田伸郎)
6年目を迎えた劇団、自立の会は、団員が急減し、風前の灯火であった。
実働2~3人。見かねた劇団仲間の赤田伸郎氏が、「私達の憲法」という
二人で出来るコントを書いてくれた。それを持って集会などの依頼に応え、
団消滅の危機をしのいだ。まだ団員でなかった森田も、稽古場をのぞいてくれ、
このコントの効果もやってくれた。
森田の演劇への、また、社会への鋭い批評眼を見ていた我々は、赤田氏の作を、
膨らませてくれるように依頼した。できてきたのがこの「日の丸」で、処女作となった。
それまでに彼は、自分に戯曲が書けるとも、書こうとも全く思っていなかったようだ。
演出・効果もやってくれ、同年の京都府演劇祭(文化芸術会館)で、優秀賞、招かれた
東京公演でも高く評価された。自身で演出したため、ト書きが殆どなく、一部ト書きを、
追加した。別役実氏の作風に似ていることを気にしてか、初稿には「別役実風のプロローグを
持つ「日の丸」と書かれていた。