幼き頃・・・22・・おお!すみれの花!

以前にも、祖母の家に家族で転がり込んだ時、祖母は幾つだったか、計算してみた。

77歳だった。見た目には、本当におばあちゃんだったが、元気は元気だった。

10歳も若い祖父との、生活があったからかも知れないし、突然に私達が来たことで、

気が張っていたのかも知れない。今、思うと本当に大変だったと考えられる。

夏休みなど私の40日間の休みは、何とかして欲しいと願ったに違いない。

父と話した結果、夏休みは、私が子供ジプシーにならざるを得なかったのだろう。

箕面の一連の流れで、2回ほど宝塚歌劇団を、観に連れて行って貰った。

その時代に、宝塚歌劇団を観に行く子供なんて、殆んど居なかった気がする。

夏休みが終わって、小阪の友達に話をしたら、びっくりするだろうと思うと、

観ることより自慢したい事でわくわくした。

話を聞いたり、華やかなポスターを見たりしていたから、劇場に行く事は期待で胸いっぱいだった。

しかし、劇場に着くと、父は、受付の綺麗な姉さんに、愛想よく冗談なんかいいながら、私を預けて、

終わる時間を聞いて何処かに行ってしまった。その時は、父は仕事なのに連れて来てくれたことに

感謝していたが、後々、よく考えて見ると、箕面と宝塚は一駅ぐらいだから、きっとあのよしこさんと、

逢う時間を作るための考策だったと思う。その時私は、なんの疑いも持たなかった。

ただ、子供一人だけが大きな劇場で座っているのは、私だけだったのでなんとも落ち着かなかった。

受付の綺麗な姉さんと父が、隣の人によろしくと頼んでいってくれたのでちょっと安心した。

隣の人がいろいろと話してくれるたびに、嫌な私が出てきて、大人ぶった生意気な子供になっていた。

対外の場合、大人たちは、「今日、おかあさんは?一人?偉いわね!姉妹は!何時も一人で来るの?」

「母は、いません。ハイ、一人で何でも観たりします。姉はいますが姉は興味が無いみたいなので。」

何も知らないのに、宝塚が前から好きだから一人でも来たような見栄を張って、すまして話していた。

今、私がこんな子を、見たら口を捻っていると思うぐらい、生意気だった。

いよいよ 始まる。 舞台いっぱいに、並んだ宝塚スターたち!頭に大きな羽をつけて、足をあげて!

まぁ~~~なんと華やか~~綺麗~~~世の中にこんなに綺麗なものがあったのか!

あまりに、想像以上の、綺麗さで息も出来ないくらいだった。一人で観ている不安も何処かにふっとんで、

しまって、どっぷりと劇場の中に、溶け込んでいた。

父は、私が芝居好きなのを、知っていたのだろうか?

一年生のときに、おとひめさんをしてから、やっぱり芝居はすきだったのだ。

宝塚の芝居は、特殊だとは、そのときは思わなかった。女が男役をやるのに、抵抗感など持たなかった。

ただただ、カッコイイと思い、又、男役の三枚目役が、必ずいるのだが、その役に興味を抱いた。

(私がやるなら、人を笑わすあれやな!綺麗なお姫様よりずっと面白いわ!ぜったいあの役が良い!)と。

普通に考えると、小学生が惹かれる役としては、かなり可笑しいと思うのだが、本当に真剣に思っていた。

私の演劇人生に、その感覚が影響していくなんて、<上手い役者より、おもろい役者と言われたい>と

思い、芝居をしていたのは、この始まりだったとは、当の本人も気づかなかったのだ。

フィナーレ あああ~~~~もう 終わるのか。ずっとここに居たい、スミレの花 咲く頃~~~~

あああ~~夢ごごちのこの感じも 終わるのか~~~

父が迎えに来ても 何日間か 私はスミレの花の中に棲みついていた。

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