「ぎゃは~~ぎゃほお~ほお~ふぁい~~ふぁい~~ぎや~~ははは~~」 あれはなんや?また、なんなんや!
ごお~ごお~~ごろごろ~ ガタガタガタ~~ 「ぎゃ~~ ははは~~わあ~~わあ~~」凄い音と、声。
<ああ~あれは兄や!またか!又大変な事になんのとちゃうやろな、火事とちゃうやろな!木にくくられるでぇ!
そう言えば何日か前から、珍しく友達が遊びに来て、なにやら大工のような事をしていたな、なんやろ?>
しばらくすると、「ハハハ・・・ハハハ・・・こんどはこうしたら、上手く行くわ!面白かったなあ!ぜったいやわ!」
うれしそうな声!。友達と仲良く話している兄、珍しい!。高槻の山の家は、駅や、町から離れていたので、めったに
友達など遊びに来なかった。特に兄は、高槻では一人かも?と、思われた大阪の私立中学校に行っていて、電車に乗り、
<お坊ちゃん学校>と言われてる学校に通っていたのだ。そんなのだから、兄も「おれは医者になる」というような、
とんでもない幻想を抱いたのかもしれない。母の希望だったか、父の見栄の為だったか、それは分からない。
ただ、父の事業が大きく失敗した時、兄が一番つらい想いをしたであろうと、後に思った。
で、兄は何をしていたか?どうも<スクーター>のような物を、木で作り、坂道利用して勢いよく下って行く。
行っては、また、登ってきて、また工夫を加えていい感じに仕上げ、タイヤの部分も木でないのを作り、それを繰り返し
「ぎゃ~ははは~~ふぁい~~ふぁい~~おおおお~~」と奇声をあげて下りて来ていたのだ。
その凄い声は山に響き渡っていた。しかし、あの時のうれしそうな兄を見たのは、始てで、また、最後だったかも知れない。
散々遊んだ後、これまた、二人で不思議な物を食していた。木の上に蜂の巣があったのを、落としてその中の白い虫を、
「美味しいなあ~甘いなあ~」と、私達を寄せつけないようにし、口の周りはべたべた、ぺちゃぺちゃと音をたてて食べていた。
食べろと言われても、あんな気持ちの悪いものは、食べられなかったと思うから、羨ましいとは思わず、<何でも食べるなぁ>と。
本当に、あの日ほど、うれしい兄を見たことはなかった。そして、しばらくして、その高槻を、去らなければならなくなった。
お坊ちゃんと言われ続けて来た兄は、その後ずっと、うらみつらみを言い、父をなじりつづけて、生き、そして亡くなった。
<時代がそうさせ、仕方の無いことだった> と、思えなかった兄は、不幸だったと思う。
幼すぎた私は、両親や周りの大人たちに振り回されていても、何も分からないままの方が良かったのかも知れない。
今、なじり続けた父と、父が建てたお墓に入って、二人はどうしているのだろう。 大笑いしていてくれたら良いのにと願う。
萩の花を見ながら、あの楽しそうな、口いっぱいに笑っていた、少年二人を想った。