幼き頃の・・・10・・時計台のバス停

今から6,7年前だろうか、店をしていたときのスタッフM嬢と高槻の温泉に行った。

温泉へはバスが枚方まで迎えに来てくれる。そのバスが高槻

JR駅をすぎて広いバス通りに出た時、懐かしい微かな記憶が甦ってきた。

「あっ 小学校!芥川小学校や!」そう一年生だけ通った小学校だった。入学式の写真にあった先生の

名前まで思い出した「吉田先生や」。また、劇の発表会で乙姫さんをした事。浦島太郎の子が本物の

まんじゅうを食べてセリフを言わないので私が「あんたの番やんか!」と。 大人たちに大笑いされた。

芝居好きになったルーツは乙姫さん、やったか!と妙な気分になった。

<もうすぐあの時計台を通るはずだ。>じっと記憶をたどるように風景を見ていた。あった!

思っていたより<小さな時計台?><鉄柱に時計>のようだったがそんな事よりあったんだ!

涙が出そうだったが、M嬢と一緒なので救われた。一人だったら降りていて、泣いていたかも。

あの家はどうなったんだろう。山や畑は? そう言えば兄だけが随分前に一度だけ見に行った事があると。

家が在ったと思われる所は新興住宅地になり家の山や畑もすべて家が建っていたらしい。

奥の山の方には新幹線が走っていたらしい。未練がましい兄は「おやじが失敗せえへんかったらなあ~」と。

相変わらず、悔しそうに言っていた。

人形と遊んだ桃の木、ハンモックを吊って昼寝した松ノ木、兄が一人で食べていた栗の木、ぶどう棚、

姉が嫁に行く時に箪笥にすると言っていた桐の木、兄が叱られ、裸でぐるぐる巻きに括られていたもみの木、

ボケの花、まったけの取れた山、父が兄に野球をさせるため山を梳って創った広場、鶏小屋、ウサギ小屋、

サルが来ていた窓、金のなる木が生えるとお金を埋めた名も知らない木、山の中に掘られた空井戸、

空井戸に石を投げた時の音、ほんの少しで、でもいっぱいの、小さな頭に残っていた大きな風景だ。

そんな所で、子供たちを育てる父や母なりの想いがあったんだろうなあ~。

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その頃流行のラジオドラマに「鐘の鳴る丘」というのがあり、歌で時計台と言うのが出てくる。

時計が、はっきりと分かる神社のような公園に、バス停が、流行で作られたのだと思う。

この歌は覚えているのにドラマは覚えていない。でも歌を唄うと涙が出てくるし、悲しくなる。

確か、戦争孤児の話だったと思う。覚えていないのに悲しい話だったとだけ残っている。

美空ひばりの「ガード下の靴磨き」も同じだ。「おじちゃん 靴磨かせておくれよ」の

セリフで必ず泣けてくる。今でも泣けて云えない。ドラマはS22年から600回も放送されたらしい。

220px-Tongariboushi 鐘の鳴る丘少年の家

(かねのなるおかしょうねんのいえ)は

群馬県前橋市堀越町にある青少年養護施設

法人名「社会福祉法人 鐘の鳴る丘愛誠会」。

1947年菊田一夫作のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」に

感銘を受けた初代園長の品川博が創立した(養護施設認可は1948年)。

1972年から特別養護老人ホームも併設する。

緑の丘の赤い屋根

とんがり帽子の時計台   鐘が鳴ります キンコンカン

メイメイ仔山羊も 鳴いてます

風がそよそよ、丘の上

黄色いお窓は おいらの家よ

菊田 一夫 作詞

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