幼きころ・・・26・・・厠で新内!

むちゃくちゃな父は、あの大変な事業の失敗から、立ち直り、いつの間にか、会社を始めていた。

私が、小学2年の時に倒産し、母がいなくなり、祖母や叔母の所を転々と、動かされていた間に、

父は羽振りが良い様になっていた。それは、時々帰って来ると、お土産があったり、服を買ってくれたり、

お小遣いをくれたり、ニコニコしていたり、そんな風な変化に子供は、敏感に状況を把握していくものだ。

子供が分からないと思っているのは、大人だけで、殆んどの事は、分かっている。

本当に、どうして上手く這い上がったか、何をして会社を設立出来たのか分からないが、ただ悪いことは

居ていない男だった。むしろ、その後も以前も、人が好いので騙され、会社を乗っ取られたりしたらしい。

どん底で母も出て行ってしまったあの時、しばらくして父はもうだめだと思い、寝ている私の首を絞めかけたらしい。

丁度その時、仕事での吉報の知らせが電報で、来たのだ。ドラマのようだが・・・。

父が 「おまえは、本当はこの世に居なかったかも知れへん。お前はまだ小さいから不憫に思い、

一緒に死のうと首に手をかけたら、そしたら 電報が来たんや!ある意味、お前が救いの神かもな」と。

平然と笑って、皆の前で話していた事があった。 まぁ、生きていたから笑って話せたのかも知れないが、

親に首を絞められそうになっていた私自身を、想像するとぞっとした。

そして、そんな話を、まるで落語のネタのように話す父を、白けて見ていた。

母には、夜中に連れ出され、どこかに連れて行かれたかも知れないし、父には、無理心中をしょうと

首をしめられかけ、酷いと思うが、両親にとっては、まだ幼い私をどうするか、思いあぐねていたのだろう。

とりあえず、しばらくは安泰の日々だったが、何時また、酷い生活が来るか分からない不安はあった。

いい時はとにかく派手、あだ名が<とうふ屋>だから。そんな親を持つ子供は、日々、ウカウカしていられない。

ある独特の、緊張感を持って生活していたものだ。そして、逞しくなっていったかもしれない。

おじいちゃんが丹精こめて作っていた小さな庭の角が、厠だった。今や、厠と言っても分からない人もいるか?、

トイレ、雪隠、お手洗い、などなどいろんな言い方がある。この家のは、厠と呼ぶのがふさわしい気がする。

厠の窓から手を洗う物が、ぶら下がっている。そして、少し汚れた日本手ぬぐい。

その下には、ひしゃくで手を洗うための、苔むした石の手洗いがある。側にはシュロとヤツデが植えられていた。

これは、その頃の定番のような風景である。一種の流行のようなものだろう。

昭和の映画を観ると、必ずこんな風な家が出て来る。

そして、肥え汲みの、取り口がある。定期的に汲み取り屋さんが来る。バケツを持って来て水を流す。

そして、心ばかりのお礼と時には、タバコなどを、おばあちゃんは渡していたように思う。

何時の日からか、羽振りの好くなった父が、朝から厠で、何やらウナッている。

あ~~~~や~~~な~~~~とかである。 新内と言うものらしい。

が、あろう事か、父は新内を習っていたのだ!。

なぜ?と疑問だったが、当の本人は至って真面目で毎朝、かなりの時間、厠でウナッテいた。

臭いし、しびれもきれるのに、わざわざ何で厠やで?なんで?

きっと祖母や祖父には、聞かれたくないためだったのか?小さな家だから聞こえていたはずだが。

そのうち、セリフのところに来ると、私が覚えていて、「ちょいと そこへ 行かれるお兄さん、お待ちなさいな。」と。

父が言う前に言ってやるのだ。ずっと、同じ題目で、<明治一代女> だった。

ゥ~~~~あ~~いぃ~~こ~~~~ろ~~~~とか、とにかく、ウナッているのが、可笑しかった。

先にセリフを言っていると、とうとう、「おまえが、先に言うと、調子が狂う、やめろ!」と叱られた。

本人は真剣で、ある時、<産経ホール>での 発表会に出たのだ。とても大きなホールだ。

大人になってから、芝居や美輪さんの歌などを聴きに行ったものだった。そのホールで習いたての新内を、

着物に袴で、出たのである。しかし、その日以後、何故か、ピタリと厠でウナル声が、聞こえなくなった。

発表会での出来ばえがよくなかったのではないか、?とも考えられる?。挫折か?

はたまた、教えて貰っていた師匠が、美人だったとも、考えられる。振られたのか?。

真実は分からないまま、我が家の厠は、元の静けさを取り戻した。だが、私の楽しみは終わった。

小学4年生の女子! <明治一代女> 新内のセリフ言えます!   誰が聞くねん!

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