今や世界の注目を浴びている錦織さん! だ、だから言うのではないのだがじつは・・
私もテニスしてましてん!もう、やめてからは10年以上になりますが・・
50の手習いでやり始めたらこれが、えらい事に、ハマリましてん!
店をしていた時、超常連のN君が店に来る女性達(やましい心もチラホラ)と、
始めたのをふらりと見に行ったのが事の始まりで、そこから、テニスデビューとなり、
皆には内緒でこっそりテニススクールに通い始めたり、N君も何だかおばさんが、
だんだんと上達するので変だと思って来たので実は・・と話す。
それからはますます熱心になり、週に3~4回はテニスをし、終ると店の買出しに行き、
仕込みをし営業するという忙しさ、オマケに芝居の稽古や公演も、かなり多くなり大変で、
それもこなし一番元気で賑やかに、過ごしていた。
しかし、俄かにテニスをした結果、張り切りすぎて整形外科に通う事もしばしば、
高校生が「あさって試合があるので・・なんとかそれまでに治して・・」と相談していた後、
私が先生に「いつ頃、治ります?」と聞いたら、「あんたは今更試合があるわけないやろ」って、
「はい、ごもっとも」とシュン。
その先生とはそれ以来の付き合いで今も別の病気で一生通う事に相成りました。
テニス仲間の人が北海道に引っ越した時など、北海道旅行の目的はテニスをする事、
また、別で北海道、<屈斜路湖のプリンスホテル>でのコートを見つけた時など、
殆どテニスをしていないメンバーに無理やりテニスさせ、特訓し、嫌がられたり、
それは、<ホテルでテニスをする事を夢見ていた>から、どんな形でもメンバーに
無理強いしてでも実現したかった無茶振りだった。
<屈斜路湖のプリンスホテル>今はもうなくなっているのだろうか?
このホテル眺めは最高だった。
もう一度行きたいところをあげると、ここに行きたいと、未だに思っている。
もうテニスは出来ないが・・・。本当は幾つになってもテニスは出来ると言われていたから、
老後の楽しみにテニスを・・と思っていたスポーツだった。
しかし、神さんはそうはさせてくれなかった、絶対に無理な病を罰のように与えた。
芝居もテニスもあきらめなければならなかった。納得するまでに時間のいる事だった。
次回、この楽しいテニスを教えてくれ、このラケットをくれたN君の話をする。