今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

枚方散歩・万年寺・意賀美神社(おかみ神社)

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元旦より散歩を始めた。

河川敷は風も強いし、眺めも退屈になるので、枚方市駅より枚方公園方面への散歩。

以前から気になっていた高台にある万年寺へ、それに続く意賀美神社にお参り。
万年寺と意賀美神社が隣だと言うのも知らなかった。
登りが急な階段だと思っていたので、今まで敬遠していたのだが、余り息切れもなく到着。
いきなり綺麗な夕日を眺められた。淀川から大阪方面・高槻や京都方面に繋がる山々と町、
こんなにも眺めのいい所とは!何年も住んで居ながらなんと勿体無い日々であったかと後悔。
毎日でも、来れそうである。梅の花も、チラホラと咲き、蕾も随分とふくらんでいる。
梅の名所でもあるようだ。意賀美神社がすぐだったので、ここでもお参り。
余り幾つもお参りはあかんのかな?

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意賀美神社(おかみじんじゃ)

 
高龗神を主祭神とし、素盞嗚尊大山咋神大国主神を配祀する。素盞嗚尊は須加神社の、大山咋神・大国主神は日吉神社の祭神で、明治時代に合祀されたものである。

歴史[編集]

意賀美神社は元は現在地から約100m南の旧伊加賀村字宮山に鎮座していた。創建の年代は不詳であるが、開化天皇の時代には饒速日命の五世の子孫で物部氏の遠祖である伊香色男の邸宅がこの地にあり、その敷地内に鎮座していたという。高龗神は水神であり、淀川の鎮守として創建されたものとみられる。延喜式神名帳では小社に列している。旧伊加賀村の氏神として、明治5年(1872年)に村社に列格した。

現鎮座地の万年寺山にあったのは須加神社であった。須加神社は元は牛頭天王社(祇園社)と称し、貞観14年(872年)、流行していた悪疫の終息祈願のため、当地にあった長松山万年寺の開祖・聖宝牛頭天王を勧請して創建された。万年寺は明治3年に廃仏毀釈により廃寺となった。旧三矢村の氏神として、明治5年に村社に列格した。

日吉神社は岡村の鎮守神で、元は山王大権現と称していた。創建の年代は不詳であるが、一説には淀川の洪水で流れついた日吉大社神体を祀ったのに始まるとも、最澄(伝教大師)が平安京裏鬼門に当たるこの地に阿弥陀仏と日吉大神を祀ったのに始まるとも伝わる。応仁の乱で焼失したが、慶長5年(1600年)に枚方城主・本多内膳正政康が再興し、氏神として崇敬した。旧岡村の氏神として、明治5年に村社に列格した。

明治42年(1909年)10月14日、須加神社と日吉神社は意賀美神社に合祀された。境内が狭いため、翌10月15日、万年寺山の元の須加神社境内に遷座した。同年12月、神饌幣帛料供進社に指定された。昭和9年(1934年)、大風害により社殿・社務所が大破し、翌昭和10年に再建された。

意賀美神社


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