台風が来ると思い出す。 年齢は前後するが、あの大好きな高槻の家にいる頃、大きな台風が来た。
私は5歳ぐらいだったと思う。朝から珍しく、父がいて家族全員いる。この事がうれしくて何が起こるかなんて
考えもしなかった。父も何故か、ご機嫌でいろんな事をしながら、鼻歌などを歌って、はりきっている。
母もいそいそとしていて、浮き足だっていた。兄も普段は、何もしないのに勉強机など整理したりしている。
姉はマイペースで、ゴロって寝そべって本をよんでいた。そのうち母は、駅の方まで買い物に出た。
「私も連れって行って!」と、泣く私を振り切り、走って下の道を駆けて行った。
母はいつもそんなに頑張って動く人ではなかったので、その事だけでも不思議に思った。
何があるのか、全く私には分からない。そのうち父は、鼻歌を歌いながら昼前なのにお風呂を沸かしだした。
五右衛門風呂だから、炊き口が台所の土間にある。そこで火を熾している。本当に、はりきっているのだ。
私までうれしくなり、廊下を走り回り、なんだか笑いが止まらなかった。
かなりの時間が過ぎた頃、母がきゃーきゃー言いながら、八百屋のおじさんに自転車の荷台に乗せられ、
「凄い雨と風が吹いて来たから送って貰った!」と、びしょぬれになって、これも笑いながら帰ってきた。
送って来たおじさんは 「これからきつう来まっせ」と、いっさい笑わずに急いで帰って行った。
そのうち、母はご飯を炊きだし、おにぎりを作る準備を始めた。母も何か歌っていたように思う。
父は、お風呂を何度も見に行き、とにかく甲斐甲斐しく動いている。この二人がこんなにも仲良く、力を合わせ、
うれしそうに、息もぴったりでいたのはこの時が、最後だったかもしれない。
3年ぐらいあとに、別れるなんて、私達も当の両親も、想像する事なんてその時は及びもしなかった。
両親だけでなく家族みんなが、バラバラになるなんて、誰も想いもしなかった。
家族が力を合わせて何かをしていた最後だったのかも知れない。
父は、鼻歌を歌いながらとうとうお風呂に入りだした。
その頃には雨も風もかなり強くなり、山の木々の音が激しく、笑いは怖さに変っていった。
何か凄い音がし、父が裸でお風呂から飛び出して来て、「えらい事や!風呂の火を消せ!煙突が飛んだ!
火事になる~~~」と叫んで急いで火を消し、裸の上から何か被って表へ出て行った。
はあ~はあ~と言いながら、帰って来て「風呂の煙突が半分飛んだ!火は大丈夫や!」と。
そのうちに、又凄い音!ガラスの割れる音や、何かが飛んで来て当たる音!もう怖くて泣き叫んでいた。
ガラスの音は父が自慢の、私達の部屋<サンルーム>の 屋根が粉々に割れ、木切れやいろんな物が
飛んで来ていたのだ。そのうち、停電になり、ますます怖さは増し、どうする事も出来ずに茶の間で一塊になっていた。
兄は「こんな台風の時に風呂を沸かす馬鹿親父が、何処におんねん!人に言うたら笑われるわ!」と、怒っていた。
いつも怒っている兄だから別に誰も相手にしなかった。当の父はなんだかそれでも笑っていたように思う。
母もそんなに深刻な顔をしていなかった。この頃はまだ、そんなに追い詰められた生活ではなかったのかもしれない。
何日か後に大工さんが来て、サンルームはサンルームで、なくなり、木が張られた屋根に変った。
風呂の煙突は、半分から折れてすっ飛んで斜めの変な煙突になっていた。
修理に来たおじさんに「風呂沸かしてましてん ハハハ・・・ほんで入ってましてん、ほしたら、えらい音がして、
煙突飛んでましてん!ハハハ・・・裸で飛びだしましたわ!ハハハ・・」と、大声でうれしそうに話している父がいた。
聞いているおじさんは?変なあきれ顔をしていた。もう少しで大火事になるところだったのだ。
すっかり直されるまで、家族はお風呂に入る事が出来なかった。兄は、やっぱり怒っていた。「馬鹿、親父!」と。
しかし、何故?両親とも、大変な台風が来る前にあんなに盛り上がっていたのか?いまだになぞだ!
思い出の多いその台風の名、それは、かの有名な「ジェーン台風」。名前は素敵だ!。
歴史に残る台風だったと、のちに知る。家族がたった一度、力を合わせた台風!私の歴史にも残った。