幼き頃から・・・14・・洗濯板とオペラ

あっ 今朝も聞こえてくる。<あ~これは 洗濯してるな>母の高い声が聞こえてくる。

大体決まっている時間、兄や姉は学校。私はむっくり起きて母の居場所に行く。

やはり洗濯している。洗濯板に石鹸をつけたシャツをゴシゴシと擦り付けて洗っている。

「ちょいと 姉さん どこへ行く~♪  ちょいと 姉さんどこへ行く~♪

私は村まで水汲みに~♪ 私は村まで水汲みに~あ~~あ~~あ~~♪」

と言う歌詞、この繰り返し、何度も歌いながら洗濯をする。洗濯のときだけ歌っている母。

母に何の歌?と聞いた気がする。母は「オペラ!よ」とうれしそうに答えた。

何のことか分からず<ふ~ん、オペラか!>と一人関心していた。毎朝その歌で起こされていたから

歌詞は間違いが無いが、本当にオペラの中の一小節だったのだろうか?

これは私の中で母の存在として一番なのだった。母はどんな人だったと聞かれたら、

「朝からオペラを歌っていた人、そして私はオペラで目を覚ましてた子!」と言って来た気がする。

思い出が少ない中での強烈な一つなのだ。

山の中腹、 丘のような所で松ノ木にハンモッグを吊り、その中に私をいれて歌っていた。

木にもたれて歌っていたそのとき歌は「黒いパイプ」だ。これも決まっていた。

これは歌詞も覚えていたし 黒いパイプと調べると出てきた。

「黒いパイプ」       作詞サトウハチロウ    作曲服部良一   歌近江俊郎

君にもらった このパイプ    昼の休みに 窓辺によれば

黒いパイプに 青空うつる     黒いパイプに 青空うつる

過ぎし日曜と 同じように    どこからどこまで 晴れた空

黒いパイプに 思い出うつる   黒いパイプに 思いでうつる

母が歌っている途中から私も歌っていた。「本当にすぐに覚えるな、こんな大人の歌やのに」

と母が笑って言っていた。姉は決して歌わなかった。音痴だったから。

「白い花の咲く頃」      歌 岡本敦郎

白い花が 咲いてた   ふるさとの遠い夢の日

さよならと いったら    黙ってうつむいてたお下髪

悲しかった あの時の  あの白い花だよ

これも一緒に歌っていた。ねずみ色の色が言えず幼稚園を落されて傷を持つ身の私と母の唯一の思い出。

母の作った食べ物は覚えていない、遊んだ記憶も無い 本当に何も無いのに歌だけは 残っている。

とても長い長い年月が過ぎいろいろあり、私が年老いた母を引き取ることになる。

お互いどんな生活していたか、どんな癖や食べ物が好きかも知らない親子が生活をする、そうすると

いろんな食い違いを感じる。が母はすでに認知症になりかけていた。

最後には私が誰かも分からなくなって逝ってしまう。

眠っているような母に「あんたの勝ちやと好きに生きたもんが勝ちや!」と。

好きに生きて何も分からなくなり逝き、思い出は「ちょういと姉さん」だけを残して!

その後、遺したものの中から小さなノートを見つけた。

父と結婚しなければオペラ歌手か小説家になりたかったと書いてあった。笑ってしまった。やられた!

「ちょいと姉さん どこへ行く~ちょいと姉さんどこへいく~~

私は村までお使いに~私は村までお使いに~あ~あ~~あ~~」

どなたかこれがなにか オペラなのか何かお教えを~~~死にきれまへんわ~~~。

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コメント

  1. ホセ・ヤコピ より:

    はじめまして

    たまたまこの歌の作曲者を探していて、こちらのページにヒットしました。

    この歌は、サデロの「麦打ちの歌」で、イタリアの歌曲です。
    「二等兵物語 死んだら神様の巻」の挿入歌に使われてました。

    死にきれまへんわって、わかったからって、これでもう思い残すことはないとか言っちゃダメですよ。

    二等兵物語
    http://www.youtube.com/watch?v=0eVD7VgbVXM

    • nono より:

      ホセ・ヤコビさん、ありがとうございました。とてもうれしいです。

      ずっと気になっていた母のあの分からない歌の、真実が分かり涙が出そうになりました。

      友人達からは、私の妄想とか、母が勝手に作ったのじゃないかと言われていました。

      確実に棺おけに片方の足が入っているであろうこの歳に分かってうれしいです。

      一度 調べて聞いてみたいと思っています。

      3月のお彼岸には、母に良い報告が出来ます。

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