幼き頃・・49・・色町の女(ひと)

私の幼き頃の話で、若い人には、その時代でしか分からないことがあるようだ。

あの嘘つきお手伝いさんにしても、その頃は住み込みで、少しのお金で来てくれていた。

だから、お手伝いさんがいるから、凄い家とかでなく、酷い金額しか渡していなかったようだ。

まだまだ日本は、貧乏だったので、とにかく食べられ、寝られたら良いというのが、あった。

あのおばあさんにしても、おそらく<色町>の出身だったと、なんとなく想像できた。

昔、日本髪を結っていて、そのために頭は禿げてしまったから、鬘だったのだ。

一人息子が居て東京で出世しているなんて言っていたが、淋しさから来る嘘と感じていた。

浴衣を着ていても、襟は後ろに抜き襟にして着こなしていたので、そんな事は、映画好きの私は

しっかり見抜いていた。どこか粋なところがあったのだ。普通のおばあさんではなかった。

姉が、軽い脚気になり、朝ご飯は食パンとりんごと牛乳にして貰っていたのを、羨ましく思っていたら、

「私は病院にも勤めていたから。脚気はビタミンBをとらなあかん、こんなことは、良く知っている。」と、

澄まして言っていた。<抜き襟して病院やて、また嘘や>と、りんごを貰えない私は思った。

私の朝ごはんは、漬物と味噌汁と、煮物だった。

次に引っ越した時に来た人はごく普通のおばさんだった。、その普通のおばさんが何ヶ月か経つと、

どうやら父の事を好きになっていったようで、父が帰ってくる時間になると、薄く口紅なんかを、

そっと、塗っていたりして、妙に色気みたいものをかもし出したりしだしたのだ。

私はだんだんと、腹立たしくなり口を利くのも嫌になり、嫌悪感を抱くようになり、意地悪をしたくなった。

父より、少しぐらい年上だったようだが、父も、ひょっとしたら・・・?だ。 あの父だから、分からないわ!

次に来た人は、長い三つあみのお姉ちゃんだった。印象的だった話は、石川県の人で家に来る前は、

風呂屋で働いていたらしい。きつい仕事だったと言っていた。

その頃、風呂屋で働く人は皆石川県出身だったらしい。後で分かったのは、一人石川県の人が風呂屋で

働いていて、その後、次々と、自分の親戚などを呼んだことから広がっていったと聞いた。

困った事は、そのお姉ちゃんの三つあみは、とても、長いのに滅多に洗わないのだ。風呂屋にいたのに・・。

我慢出来ない誰かが「髪の毛、洗いや」と言うと、やっと洗うのだ。

まるまると、太っていて、動きが、いつも、よいしょ、よいしょと言って、すぐに、息切れしていた。
きっと、それぞれ、いろんな事を抱えていて、私のところに来てくれた人たちだったのだろうなあ~~。

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