預けられていた叔母の家には、木で出来た長い塀があった。まるでサザエさんの家のような塀だ。
入り口をはいると木の塀に沿って庭になってる。玄関への通り道の真ん中に井戸がある。
構造的には少し変だった。知らないでいたら、井戸にぶつかりそうになる。
なにかがあって、改装したのだろう。格子戸は隙間のある格子戸で、外からは庭や井戸など丸見えだ。
昔はそんな簡単な玄関でも、泥棒は入らなかったものだ。もちろん変質者もいなかったように思う。
高槻の山の家の方が、よく泥棒が入っていたのは、おかしいくらいだ。
派手な生活をしていたから、狙われていたのだろう。
叔母の家には、内風呂もあったし、おばあちゃんの所より台所も下に降りないで良いし、便利に出来ていた。
従妹のいじめが無ければ、快適だった。学校から帰るといつもコタツか机の上で、叔母は着物や何かを縫っていた。
従妹は洋裁を習っていたから、自分の服などを作っていた。一度だけ私のブラウスとスカートを作ってくれたことがあった。
信じられない事だった。ブラウスは前のボタンの所がフリルになっていて、模様も可愛くて、学校で自慢出来るほどの物だった。
うれしかったが日ごろの行動から素直に喜べずにいた。
二人のそんな様子があったためか、私もその横で何かを作るのが好きだった。端切れを貰い人形をつくったり
人形の服を作ったりいた。編み物も4年生で、簡単な物が編めていた。
学校ではゴム毬で遊ぶのが流行っていて、その毬を入れる袋を毛糸で編んで、肩から提げて行っていた。
今から思うと、今も布や毛糸を触っているのが好きなのは、その頃に教えて貰ったりしたことが 影響しているのかもしれない。
まさしく三つ子の魂100までだわ。そういう意味では、いけずな従妹にも感謝すべきなのかも知れない。
また 庭に植えてあるいろんな花の手入れもいつの間にか小学生の私がしていた。
おじいちゃんの庭仕事を、飽きずに見ていたからか、嫌いな仕事ではなかった。
とりわけ長い塀に沿って植えてあったへちまの手入れは面白かった。花は黄色の可愛いのが咲きその後から、小さな
へちまが出来る、どんどんとおおきくなり、あちこちでぶらぶらとぶら下がる。
そのへちまが乾燥してお風呂で体を洗う使われることも、世話をしていて分かっていった。
へちまの新しいときはそれはそれは、洗うのが痛くていやだったがそのうちにやわらかくなると、
なんとも気持ちが良いようになるのだ。青いおおきな糸瓜が良いころあいになったころに、根っこから10センチぐらいの所を切る。
そうすると茎のところから、ぽたぽたと滴が落ちてくる、そして一升瓶に茎をさし入れて滴を溜めるのだ。
それが化粧水となるのだ。ぽた ぽた とすこししか落ちないのに、気が付くとあっという間に瓶一杯に溜まっているのだ。
溜まった化粧水は近所などに、配られていった。
でも、その頃とはいえ、小学生が、、糸瓜で化粧水作りをしているなんて、やはり可笑しい風景だったと思う。
小瓶に入れて売っていたら、犯罪だったのだろうか?
小学4年の少女!闇の化粧水、売買で御用となる!たかがへちまじゃ!
今だとりっぱなエコだし、自然無添加の化粧水だ。今はその頃よりブームみたいだ。