ののが綴る徒然日記
懐かしい風景や陶芸・演劇等を綴っています
2014/5/29 幼き頃から
東京へ入ります。
はとバスのしおりです。
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家が、駅から離れているので 幼稚園も遠くて行けなかった。友達もなく、もっぱら一人で 山の桃の木の下でゴザを敷いて人形と話をしたり、歌を勝手...
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私達世代の、小学時代は、今とは比べものにならない位、マンモス校だった。 一クラスは45人で6クラスあり、中学校になると10クラスもあった。...
私はあの<ジンタン中毒少女>時代から脱出し、少女から大人へと移行して行く 中途半端な年頃になっていた。 幼き頃からの不安は、いつ...
箕面には、次の年の夏休み、梅田から従妹も誘って行く事になった。 父は、二人だと退屈しないで居れるだろうと、考えたのかも知れないが、従妹は、...
あの身勝手な父のあだ名が、親戚の叔父や叔母の間で、「豆腐や」と言われていた。 「豆腐屋ってなんでや?」と、疑問に思っていたが私...
少女M子のジンタン中毒も落ち着き、3年生。 修学旅行「旅のしおり」10月に東京に行っている。 昭和35年10月の19日から2泊3日。 ...
何故、母の登場がないのか?姉妹は?とか思うだろうが、殆ど、一緒に暮らしていなかった。 だから、当然記憶に残らない。一家で長く過...
さてさて、昭和35年頃の東京へご案内。 いろいろ思い出す人もあるかも。 きぼうと言う列車に乗って、いざ、東京へ!
夏休みに梅田のおばちゃんの家に預けられ、そのまま小阪に帰らず二回ぐらい 何故か箕面の料理旅館に預けられた。 母が出た日から私は子供ジプシ...
一般的には、お袋の味を覚えているものだが、私の場合はやはり、おばあちゃんの味だ。 お金も無い頃だから、殆んどは魚の粗と野菜のたいたん(炊く...
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