梅田で遊んでいた時の大事なガラスは「ケンパ」と判明。そうかなぁとおぼろげに思っていたが、
東京の知り合いのAさんより早速連絡あり、「ケンパです」と。丸を書いてケンケンして蹴って行くのも
あると友人と話していてはっきりもした。Aさんはあれを口に入れ、出なくなって泣いたらしい。
なんとむちゃなことを、と思うが子供は、本当に大人が考えられないことを突然にするものだ。
またセルロイドの下敷きをケンパでこすると甘いイチゴの匂いがしたらしい。知らなかった。
<小学校一年生・ 一人目の洋子ちゃん>
入学してすぐに隣の席の子と仲良くなる。 名前は洋子ちゃん。
私はクラスでも後ろから3番目と背が高い方だったが、洋子ちゃんは、もっと、飛びぬけていて、
大きくもう3年生位に見えた。頭はきっちりとしたおかっぱ頭、こんなにもよくまっすぐに
切れるものだと見とれてしまう程。それより何よりほっぺたの両方にヘっこむエクボが可愛い。
始めは<エクボ>と言うのも知らない私。
「洋子ちゃんほっぺた可愛いね」と言ってみた。「うん、皆に言われるねん。エクボや!。」と、
なんかとても得意げに鼻も膨らんで言った。そしていっそうエクボをへこませて笑っていた。
(あの エクボ欲しい!私もエクボの子になりたい!)
それからはどうしたらエクボを作れるか毎日毎日 鏡とにらめっこをして
(あっ そうや、爪とかで押したら良いねんや)と。
その日以来、爪や鉛筆でほっぺたを押し続ける、それに加えて押されたのを口の中でひたすら噛む。
これを右の方だけ続けていたらある時少しへっこんでいる。
(わぁーエクボ出来ている!洋子ちゃんには負けているけど、出来た!洋子ちゃんや!)
それ以来、右だけ少しへっこんだエクボを、気づいてもらうための笑い方をしていたが誰からも「エクボ可愛いね」
と言われなかった。今ははっきりと、皺になりし作りエクボが残っている。年輪を重ね・・・。
<2年生・・・ パーマ屋の洋子ちゃん>
2年生になり高槻の家から祖母の家に一家で転がり込み 転校生となり学校に行く。
ドキドキして行った学校では、転校生はめずらしく、皆、休み時間になると机を取り囲んで
私のところに来る。そのときは、まだ母も居たので服装は母が選んだお洒落な服だったし、
母の妹が美容院を経営していたので、髪の毛にパーマをあてていたので、注目の的だった。
私は少しよそ行きの子になり 上品に笑って見せたりして演技をしていた。
しかし、子供は、珍しがるのは3日ぐらいで、その後はいつものクラスに、すぐに戻ってしまう。
戻ってしまうと、そこで揺るぎない人気のある女の子の存在に気づく。
駅前の有名美容院の洋子ちゃんだ。
(また、この可愛い子も洋子ちゃん?なんでやのん?洋子ちゃんはなんで可愛いのん?)
そこへ 頭もよく男子の中での一番人気の男の子が洋子ちゃんに近づき、何かあげている。
一番人気の男の子と一番人気の女の子だ。凄い!他の子にも何かあげていたのだが、
洋子ちゃんには一番きれいな「あてもん」で当てたルビーの指輪をやっている。
(わぁ~きれい~ 私も欲しいなぁ~ ええなぁ、やっぱり洋子と言う名前の子は可愛いねんや。
せやから あんな指輪も貰えるんや、洋子と言う名前にして欲しかったわ!)
ひたすら羨ましかった。
<4年生・・・転校していった洋子ちゃん>
少しいろんな面で消極的だった私がやや前に出られるようになったのは、3年の後半からだった。
何故、変わったかというとクラスの委員を決める3学期に始めて委員に選ばれたからだと思う。
自信というのはそんな事で付いて、行き生き方とか性格とか変わるものなのだ。
1学期に選ばれるのは、やはり人気1番で、勉強も1番の子。2学期はやはり2番の子。
3学期は、なんかうやむやな人気者で、今いち、はっきりしないが選ばれないよりましかと思った。
2学期の時の委員で、背は小さくて髪の毛は長く緩やかなカールをしていた子が転校することになった。
「呉」という所に。洋子ちゃんだ!。転校する発表があってからは、私の時といっしょで机を取り巻く
毎日だった。呉という地名を覚えたのもその時だった。
(なんでに洋子と名のつく子はみんな可愛いのや。しゃれた名前をつけたから可愛くなるのか。
私の名前はあんまり可愛い名前でもしゃれてもいないなぁ~洋子・・ええなぁ)
洋子・・・ そのころには しゃれていた名前だったのかも。
コメント
洋子ちゃんに会ったのは30年前、カトマンズの安宿。ちょっと顎のしゃくれたエキゾチックな美人やった。歯切れのいい浜弁(横浜ちゃうよ)、海のそばで育った。親戚も知っているが、実直とは遠い人たちばかり。 お腹にいた子は、今年30歳になるんや。