1997年 釜山で開かれた演劇祭に招待される。
「おこんじょうるり」をさげてので参加。
この芝居で私は「おばば」をずっと演じ、長く公演を重ねていた作品だ。
一年前の企画団体と、今回のは違う団体だった。
私達はちょっと苦労した公演となった。
到着早々のひと悶着・釜山空港。
大きな荷物は事前に船で発送していたが、手荷物で持ち込んだ中に
芝居なかで使う<たけみつ>(偽の刀)を、取り上げられたのだ。
危険物扱いになったのだ。どんなに偽者で芝居に使うと言っても
聞き入れられず2時間も足止め食った。日本に到着したら送るとの事だった。
劇団員の中で<若柳流の踊りの師匠>がいて、彼の私物でもあった。
とにかく何とか似ているような物を作るしかない。
次の日、釜山の市場を教えられ行ったのは良いが、そこは屋台の市場、
売っているのは、キムチや豚の頭、豚の耳、これでもか!と言わんばかりに
並べられている。そんなところで、刀の材料になるような物があるわけがない。
何とか棒のようなものを買い、アルミホイルを買い、小道具の達人T氏が作ったが、
どう見てもフェンシングのそれだった。
あくる日の舞台、私の身代わりで切られる<おこん>は、フェンシングで、切られた!
殿に仕える者が、フェンシングで、ばっさり!普通なら笑われるが韓国で良かったのかも?
まあ、何とかやり終えた舞台だった。
今回の宿泊は青年の家的な合宿所、シャワーが水、季節は夏に入ってたが、山の上だったので、
すごく寒く、水シャワーは、氷のようだった。
部屋はオンドル、それは良いのだが、毛布を使った全員が、ダニの襲撃にあった。
いろんな思い出深い公演だった。写真はパンフに使われたものだ。
そして<たけみつ刀>はとうとう日本に戻る事はなかった。
それから17年経った二年前、いきなり私のメールに、韓国に留学している日本の
青年から連絡があった。O君という学生なんだが、演劇の勉強で来ているという。
その時、このパンフレットを見つけて苦労して私の所にたどり着いたのだった。
彼によると日本の劇団が公演しているという資料など余りなく、いろいろ調べて、
行き着いたということだった。
彼曰く、この時の企画は始めての取り組みの団体だったらしいと教えてくれた。
映画の上映・問い合わせの所のメールがヒットし、私にたどり着いたとの事だった。
インターネットの世界の凄さを実感した出来事だった。