前回の韓国公演で、最後の日のパーティーは、バイキング料理あり、
音楽・最後には皆で踊りまくり賑やかで楽しい締めくくりだった。
唯一、残念なのは、言葉の壁!日本チームでは、二人ほどが、英語が堪能なんだが、
後はみんなさっぱりで、手振り身振りで何とか通じたかな?ばっかり!
ああ~やはり、英語が喋れないと・・恥ずかしい・・。
韓国は子供の英語力が高く、外国人を見ると、この時こそ自分の英語力を試すんだと、
ノートを持って寄ってくる。こちらが英語がダメだと知ると、少しだけの軽蔑の目を
投げかけ去って行き、別の国の人と楽しそうに話している。
最近になり日本の子供にも英語力をと、取り組みがはじまっているが、かなりの遅れかと。
韓国では、日本語、英語は生きていく上で必要不可欠なんだ。
大人になってからの就職の選択肢に大きく関わってくるので、幼い頃からそれを叩き込まれる。
しかし、この頃地下鉄やバスやその他でも、英語の案内が全くなくハングルのみ、我々は通訳が
いないと動きが取れなかった。
それは、まだ政府が、戦争の名残りで、英語と日本語は公の所では禁止していた。
だから、芝居で日本語で、公演することも本来ならば異様なことだったのだ。
私達の劇団員は、普段は職業をそれぞれに持っていた。休みを取って参加出来るのは、
せいぜい3日ぐらいだった。
そんな中、2日ぐらい前に現地に入って、交流を深めていてくれたM氏がいた。
彼ももちろん仕事もあり、簡単に休みが取れたわけでもなくが無理をしていてくれていた。
このメンバーの中で一番英語も堪能だったので、私達がついた頃にはすっかり馴染んでいた。
パーティー後劇団のメンバーだけで少し話と酒とを飲み、それぞれの部屋へ。
次の朝、M氏の話し、男の人はその後も、議論白熱、喧々囂々だったそうで、やっとお開き、
T君が居ないことに、気付き探しに出ると、廊下にすっぽんぽんの男性が・・。
Tさん、びっくりし、必死に部屋に運んで、飲み物でもと、廊下に出て進むと、
また、すっぽんぽんの男性!また、出てきたのか!と?思ったら
後ろから大声・・何とこれは中国の劇団員「何処にでもこんなのが、一人はいるんだ」とM氏が、
朝、面白おかしく報告をしてくれた。そのM氏は、この後仕事を退職し、劇団も退団、残念だった。
私には良いアドバイスをくださっていて、森田さんとは長い良い友人だった。今一度会って見たい。