24日に開かれた集いに参加した。前回 京都でのシンポジュウムで、知った「ふりつさん」の
話があるので、行ったのだが、福島に行かれ、帰ったばかりで、まだ、整理がついていないと
話されていた。以下 具体的な話で、掻い摘んでメモしたもの。
新幹線でいかれた中で測定器で測ったら。
「いわきで0.6ミリシーベルト・郡山1、4ミリシーベルト・福島駅1、81ミリシーベルトになった。
新幹線の中での事で驚いた。ちなみに今、私達がいるこの会場で、0.05ミリシーベルトです。
福島駅近くの公園の地面では2.73 町の中 中学校の校庭では、8、2と大丈夫かと思った。
そこは建物の隅で雨水が流れてくる所だったから、数値が高いのだが、簡単にロープを張っているだけ。
飯館村33キロ地点、21日 7.61 その近くの研修工場 11.84 20日の雪の日、雪の上16,37
雨に濡れないビニールハウスの中 5・0 ただ、その場合 地面は少なく上の方が数値が上がった。
いかに雨や雪に多く含まれているかです。
飯館村とかは、若い人は余りいないと聞いていたが、赤ちゃんとお母さんがいたりで、驚いてしまった。
しかし、関西で話ているのとは違い、現地では、気をつけて話さなければならなかった。
いろんな事情を抱えて、家を離れる困難さを聞くと、数字だけをとりあげての話は出来ない。
ただ、若い人達の中で、夢を持たないと生きていけないから、移住しても<ふるさとにいつかは戻る>を、
誓い合い、そういったグループが出来ているのがうれしいことだった。」
今日の会場にも高校生4人が、先生と来ていたのが印象的だった。先生は生徒全員に原発についてのアンケートを
とっておられる人だった。少しづつかも知れないが若い人たちが、立ち上がれば、大きな力になっていくと信じたい。
子供の被ばく限度 20ミリシーベルトへ引き上げた、文部科学省、原子力委員会、長崎大学の山下俊一教授への
批判が、どんどんと出た集まりだった。彼らは長くかかるこの事故の先にあるものが、全くみえていない。
見えていないのではなく、よく見えているのに蓋をしているのだ。
チェルノブイリ事故処理従事者 (ククビダートル)
事故当時 1000~2000人 混乱のためはっきり把握出来ていない。
その後従事者 80万人 あらゆる国中から集められた。
はじめの頃の従事者 30人 死亡。 数ヶ月での事。
移住者 30キロ圏内 12万人
高汚染地 30万人 汚染地住民 600万人が今も生活している。