今から思うと、この時代では珍しく、父や母は、子育てでは、進んだ考え方をしていたと思う。
時代の変化もあったが、もともとの考え方がj「自由」だったのだろう。
だから、子育てもいろんな「自由」を、取り入れていたんだと思う。
それがどちらの方針だったかは定かでない。 3人の年齢が違うのに同じ扱いをしていた。
まず、ウサギを一匹づつ飼って育てる。
自分のウサギだから大事に育てるのが当たり前なんだが、何しろ私は幼いから、餌も分からない。
姉たちが取りに行くたんぽぽの葉を見よう見まねで取り、世話をした。
しかし、ウサギに与えてはいけない物は知らなかった。
鼻をクンクンしているのは喉が渇いていると思い、 水を与え死なせてしまった。
朝、小屋をのぞくと柔らかいふわふわした白い毛が濡れたようにべた~っとして体にくっついている。
抱くと木のように硬く冷たい、氷の冷たさよりもっと冷たいと思った。
生きていた者が、こんなになるのだと分かったなんとも云えない最初の感覚だった。
次はイチゴ畑だ。苗を植えた棟を一棟づつ育てる事だった。兄はもう中学生だからやり方を知っている。
私は1年生になったばかり。でも誰も助けてくれない。花は咲いたが実が少ししか生らない。
兄のを見ると藁などを敷いていて親指よりも大きな実がなっている。うらやましい!。
ある日一つだけ、そのりっぱなのをそうっと盗った。が、兄は数えていた。
あの兄だと言う事を忘れてた。 「おまえ!食べたな!!」と言うと同時に拳骨が飛んできた。
もう、イチゴ畑に行くのも嫌になった。 父も母も何も言わなかった。鶏も3人で世話をした。
何羽も居る中で兄が手をかけていた鶏が弱りだした。 父は首のところを掴み、山に行き羽をむしりだした。
兄は「何するねん!」と、喚いて泣いている。 ずっと泣いている兄に、構わず、父はどんどん作業を進めた。
その日の夕食は「かしわのすきやき」。
<わぁ~い!ごちそうや!久しぶりのごちそうや!かしわのすきやきや!>私たちは皆喜んだ。
兄は泣きながら、「これ、さっきのか?わぁ~あの鶏か?わぁ~」と、泣きながらも、
一番に美味しい玉ひもを、涙と鼻水と一緒に口にほおり込んで食べていたのを、私は見逃さなかった。
無茶苦茶な父や母だったがこうすることで、生き者を大事にしてやらないと死ぬ、
肥料や世話をしないと物は育たない。育てた物は大事に食べる。というのを分からせたのかも知れない。
ずいぶんと後になって、こんなところで子供を育てたいと言ったのは母だったと知る。
下の写真も、兄が野球をするための広場だ・・・。これは父の方針だったらしい。