私たちが、この家に来た時、おばあちゃんは77歳ぐらいだったと、大人になって分かった。
今にして思うと、77歳のおばあちゃんが、急に孫の世話をするのは、本当に大変だったろう。
それまで、年に一度ぐらいしか、会った事がなかったし、母は半年ぐらいで家を出て行くし、
金はないし、父と姉か、私かが、交代でこの家で生活をしていたのだ。
そうでなくても、目の見えないおじいちゃんがいたので、その世話だけでも、大変だったろうに。
おじいちゃん達二人は、駆け落ちのようにいっしょになったから、父には頭が上がらなかったのかも。
それに年老いてからは、生活の面倒を父が見てきていたらしいから。
母が家を出た後、父の姉妹の叔母たちとおばあちゃんたちは、いろいろと話し合っての結果、
夏休み、手のかかる私だけが、梅田の叔母や、父の愛人が居た旅館に預けられていたのだろう。
まぁ、そのお蔭で、あの頃の梅田界隈や、箕面の旅館生活など、他の子供が経験出来ない、
面白い夏休みが送れたのかもしれない。
叔母の家にはお風呂があったが、おばあちゃんの家にはなかったのでその時は銭湯に行く。
おばあちゃんと行くのだが、不思議だったのはおばあちゃんは、ほとんど頭を洗わないのだ。
そのためかどうなのか、着物の襟のところに日本手ぬぐいを挟んでいて汚れないようにしていた。
髪の毛は、暑い時などは、毎日、洗面器に水をいれ、手ぬぐいで拭いて、櫛で丹念に梳いていく。
なんとなく、その様子を見ているのが好きで、時々、手が届かないようなところは手伝ったりしていた。
毛染めときも、じっと見ていた。なにだったのか、黒い液を刷毛のようなのでなでつけて、黒く染めて
いくのだが、頭の天辺に大きな禿があるのだ。昔は日本髪を結っていたらしく、それで禿げたようだ。
謎が解けた、銭湯で頭を洗わないのは、それを見られるのが恥ずかしかったのだ。
毛染めのときは、長い髪を下ろして、あの禿げているところは、丸見えで、ちょっと、怖いのだ。
ちゃんばらを観た時、侍が髪を切られ、頭が、ざんばらになる、それと同じで怖かったのだが、
妙な興味もわいた。丸く禿げたところに、毛染めの黒いのが付くと、それを拭く役割を、私がした。
なかなか、面白かったし、おばあちゃんと仲良くなれたように思えた、ほんの一瞬の時間だったのだ。
滅多に笑顔もない、怖い意地悪なおばあちゃんだったから、小学3年生の精一杯の<おべっか>だった。
おべっか仕事の見返りは、目に焼きついたあの頭だった。