1997ねん1月27日
辺野古の人々たちによって「命を守る会」が結成された。
その日から辺野古の海に基地を造らせないための、おじいやおばあたちの
座り込みが開始され8年間毎日続いてきた。
93歳のおばあは、「この海の恵みで子供たちを育ててきました。
宝の海を子孫に手渡すことが私たちの務めです。」と語る。
大阪でのアクションが行われた。
翁長知事が亡くなられて一週間、みんなの思いはこれからどうなるのか?と、
集まった雰囲気があった。
病気を克服されまた、その後も座り込みの中心に居て、不当な逮捕などされた
山城博治さんの講演があった。
その中でも「翁長知事の埋め立て承認の撤回表明は何としてもする」
翁長知事が発現された日は、本当は大変な体の状態だったと。
7月27日であったが亡くなられたのは8月8日だったのだ。
山城さんの話で8月11日追悼集会と決意を新たにした集会には7万人が集まったと。
印象深い話は翁長知事の次男である雄治さんの話で「父はどうしたら新基地建設を
止められるのか、病室のベットでも資料を読みあさり、一生懸命頑張っていた。
父翁長雄志にい辺野古新基地建設が止められたと報告したい」と訴えられた。
稲嶺進前名護市長は「翁長知事への追悼の思いを皆が持ち、今日のこの場に
集まったと思う。翁長知事にも皆の思い、声が届いたと思う」と強調した。
こうした報告やこれからの知事選挙の話などが話された。
その後沖縄・平和を歌う・川口真由美さんが力強く歌って下さった。
川口さんは座り込みの前でいつも歌われている。
辺野古ネーネーズなどとうたう歌。
あきらめない!
闇は光・嘘は誠のに勝てない真実は沈まない
私たちはあきらめない。
と素晴らしい力強い歌を聞いて逆に元気を貰った一日であった。
ほんの少し出来る事をしょうと。
こうした講演に来る事も大事かと。