安倍政権が特定秘密保護法案に邁進している頃、尊敬する友人のジャーナリストから一つの文章が送られてきました。
 
1986年元日の「朝日新聞」に掲載された劇作家・木下順二の「小さな兆候こそ」という文章です。
 
木下は、丸山真男が『現代政治の思想と行動』の中に紹介しているエピソードを題材にして、こう書いています。
 
「ナチスが政権を取った年のある日、ドイツ人の経営する商店の店先に『ドイツ人の商店』という札がさりげなく張られたとき、一般人は何も感じなかった。またしばらくしたある日、ユダヤ人の店先に黄色い星のマーク(ユダヤ人であることを示す)がさり気なく張られた時も、それはそれだけのことで、それがまさか何年も先の、あのユダヤ人ガス虐殺につながるなどと考えた普通人は一人もいなかったろう。
つまり、「ナチ『革命』の金過程の意味を洞察」できる普通人はいなかったのだ。
きのうに変わらぬきょうがあり、きように変わらぬあしたがあり、家々があり、店があり、仕事があり、食事の時間も、訪問客も、音楽会も、映画も、休日も――別にドイツ一般民衆の思想や性格がナチスになったわけでは全くないのだが、気のつかない世界(=ドイツ社会)の変化に、彼らは『いわばとめどなく順応したのである』。そしてナチスが政権を獲得した1933年から7年がたって、あのアウシュヴィッツが始まったというわけだ。
ふり返って考えてみれば、『一つ一つの措置はきわめて小さく、きわめてうまく説明され、“時折遺憾”の意が表明される』のみで、政治の全過程を最初からのみこんでいる人以外には、その“きわめて小さな措置”の意味はわからない。それは『ほんのちょっと』悪くなっただけだ。だから次の機会を待つということになる。そう思う自分に馴れてしまっているうちに、事態は取り返しがつかなくなってしまった」。
 
最近ずっと、安倍政権の動きを見ながら、なぜ多くの人々が必死に抵抗せずにナチスに順応していったのか、その理由を考えていました。
その点で、木下の「小さな兆候こそ」の内容は腑に落ちました。
麻生太郎財務大臣が言っていた「ナチスの手口を真似ろ」というのは、きっとこのことを指しているのでしょう。
 
 
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帰ってからも強く思った事。
知らないでいる、無知である、のも大きな罪だという事。
知らないうちに自分もアイヒマンになり得ると言う事を!。