県警捜査1課と南相馬署は父親の刑事責任が問えるかどうかについても調べを進める。

複数の関係者によると、父親と母親は同じ会社に勤めていて職場結婚。子どもを3人もうけた。2009年、南相馬市原町区へ転居するとともに、父親が同市内の会社へ転職した。

ところが、11年の原発事故により一家で避難を余儀なくされた。自宅のある地域は第一原発から半径30キロ圏内にあり、約5カ月間、緊急時避難準備区域に指定された。一家は飯舘村の親戚宅や草津温泉(群馬県)を転々と避難し、数カ月後に自宅へ戻った。父親は勤めていた南相馬市の工場が閉鎖になり、仕事を失った。しばらくして土木関係の仕事を見つけたが、体調が悪くなって通院していたという。現在は別の会社に勤め、除染作業をしていたが、体調の悪化で休むこともあったという。

事件前日の5日、症状が悪化した父親は将来を悲観し、「もうおれはこれで終わりなんだ」と家族に打ち明けた。家族が「そんなことないべ」となだめた。だが、父親は居間で起きていて、6日未明に隣の寝室で寝ている長女の腹を刃物で刺し、自分の腹も刺した。

関係者の男性は「父親は静かで人が良かった。とてもかわいがっていた娘にあんなことをするとは考えらえない。避難生活でおかしくなった。かわいい娘を道連れにしようとしたのではないか。原発事故さえなければ」と悔しがった。(小島泰生)