先日、亀嵩駅に行ったことで、もう一度「砂の器」を観たくツタヤに走る。
1974年・の映画なのだが、製作までにはいろいろ長引いたようだ。
松本清張は自分の作品の映画化には、余り満足していなかった様だが、
この「砂の器」については、映画だから表現出来ている部分もあり、
脱帽と言っているエピソードもある。
キャスト・スタッフも凄いメンバーだ。
加藤 剛の、横顔の鼻筋の美しさに、魅了される。
皆、当たり前に若いし、映像も美しい。
日本の田舎の美しい風景に惹かれて行く。
子役が良かった、鋭く上手い子役だった。
今の子役も上手いが妙に大人がいじり過ぎていると思う。その違いも感じた。
砂浜での父と子、何度も涙してしまう。
父を演じていたのは、加藤 嘉。名優が多く出ているが、残念な事に今は殆ど亡くなられている。
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都会の駅の操車場で起きた或る殺人事件を発端に、刑事の捜査と犯罪者の動静を描く長編小説であり、
清張作品の中でも特に著名な一つ。ハンセン氏病を物語の背景としたことでも知られ、大きな話題を呼んだ。
ミステリーとしては、方言周圏論に基く(東北訛りと「カメダ」という言葉が事件の手がかりとなる)設定が重要な鍵を握る、などの試みがなされている。
エピソード[編集]
- 映画の撮影は、1973年の冬から1974年の初秋までの、約10カ月間にわたって行われた[20]。
- ロケ地は、原作に登場する蒲田や出雲地方に止まらず、阿寒湖、竜飛崎、北茨城など、日本各地で行われている。
- なお、亀嵩駅は本映画のロケでは使用されず(駅の看板のみ使用)、出雲八代駅、八川駅がロケ地となっているが、
- これは、撮影の直前に亀嵩駅の駅舎が手打ちそば屋に衣替えされ、これが撮影に不向きと判断されたことが理由とされている[21]。
- この映画において、ハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、
- ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、
- 全国ハンセン氏病患者協議会(のち「全国ハンセン病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する他、
- 映画の上映によって“ハンセン氏病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、
- 映画の計画段階で製作中止を要請した。
- しかし製作側は「映画を上映することで偏見を打破する役割をさせてほしい」と説明し、
- 最終的には話し合いによって「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、
- 社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、
- 本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、製作が続行された。
- 協議会の要望を受けて、今西がハンセン氏病の患者と面会するシーンは、シナリオの段階では予防服着用とされていたが、
- ハンセン氏病の実際に関して誤解を招くことから、上映作品では、背広姿へと変更されている[22]。
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