あだ名をつける名人かも・・3

私には関係なく、なんの恩恵もなかったバブル時代、まさにそれを生きた人を見た。

ある日、6時開店、直ぐにふらりと作業服を来た人が入って来て窓際に座る。

窓際に座る席は3席。電話を隅に置いている。始めての人、訳あり男女が多く座る。

実に自然な感じで座り直ぐに電話をかけ「まだ、仕事場や!遅くなる」と。

作業着を着ているので、私達はあちこちを叩いて現場の音のように出して笑っていた。

ジョークを気軽に許すような人に見えた。頭に特徴がありかなりの天然パーマである。

なんだかんだと話をしていて分かったのは、左官屋の親方だった。

このバブル期は、それはそれは忙しく人手も足らない位であった。

あちこちの建築現場を掛け持ちしているようで、電話で明日の手配などをしていた。

しかしどこかつかみ所のないのがあり、その場でつけたあだ名は「ミュータント」だ。

それ以後足しげく通ってくれた。彼も元はミュージシャンということだった。

バブルの恩恵を受けたと言えば、この人からの数々の贈り物かも。我、最大のモテキか?

しかし、私だけではなく店の皆や常連客も恩恵があったのだ。

一番は3周年記念日、な、なんと100本のバラ<ローズ色>のを、贈られたのだ。

おりしも加藤登紀子の「100万本のバラの花」が、大流行だった頃だ。

吹田の花屋さんが、仕入れたままの包みを抱え、わざわざ電車で持って来たのである。

その花屋さんが興奮していた。「100本でっせ!100本!~~さんからでっせ!」

息をきらしてまで興奮するならう少し拘ってもいいだろう。束のままとはなんぞや!

花瓶も入らず、幾つものバケツに入れる始末だった。可愛そうな100本のバラだった。

しかし、驚いたのはその花屋さん!贈られた主は仮装をし、紋次郎のような出で立ち!で。

「ママさんは?」「はい。私ですが」「・・・あの~これ」と、目を白黒し帰って行った。

その日の決まりは、お客も店の人間も全員仮装していないと、店に入れないとしていた。

最近、流行っている仮装だが、もうとっくにそんなパーテイーは、やっていた。

一番驚かせてくれたのは、高倉健似のN氏、何もしてないので「だめやで!」というと、

<にぃっ>と笑い、前歯1本にお歯黒をしていたのは、男前だけにお見事であった。

ミュータントは、暮れには大きな蘭の鉢と卵を仕入れ箱1箱、みかん1箱とかを、

トラックに積んで持って来て、他にも配るとネズミ小僧のように、去って行くのである。

車を貸してと私の軽のバンを持っていく。直ぐに帰ってくる。あのバンにはテレビは、

付けられなかったわと。<希望してないし、頼んでないし、欲しいのはカーステかな?>

と、試しに「えッ、そんなのはええのに、もしも、もしもやけどカーステが良いかな?」

って試しに言ったら数日後に付いていた。あり難いのだがなんだか心から喜べなかった。

とうとう、やって来たのはバブル崩壊!

離婚・元嫁さんの借金とかが明るみになり尻拭い、しばらくして彼の姿は見なくなった。

ミュータントだから、力強く生きてござるだろう。姿を変えているかも・・ね。

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