店を始めて間もない頃、私もまだ慣れていないど素人。
変な客は来ないか、喧嘩などないだろうかなど、いろいろ不安を抱えての毎日。
幸いな事に常連は友人が多く、知らない人でもいつの間にかお互いに親しくなり、
杯を交わしていて、始めの頃としてはかなり順調だった。
そんな時、だれの紹介でもない若者が、馴染みのメンバーと親しくなり若いので、
みんなに可愛がられていた。Hちゃんが常連に加わる。
彼はうれしそうに「若いけど僕結婚していま~す。嫁さんはIちゃん、女の子が
生まれたところで~す。Iちゃんと娘愛してま~す」なんて大声で言ってました。
私の注目を浴びたいときはわざわざ席を立ち、「はいはいはい、ママさん僕は、
キープします!二階堂を!」と、凄くアピールする。
学校の先生に応える生徒みたいな感じで。嫁がいながら甘えたなんだなと思った。
来るたびに「はいはい、今からIちゃんの好きなケーキを買ってかえりま~す。」
とこれまた大袈裟に報告をする。そんなことが何度かあり、日曜の昼、何人かで、
会う約束をした。しかし、彼だけが来ないので自宅に電話をする。
「もしもしHさんのお宅ですか?ナニナニさんは居られますか?」少ししわがれた声、
「お宅どなたナニナニはいませんが」「私はナニナニの店のものです。約束があって」
「お宅でっか!息子をたぶらかしてからに、毎晩、そちらに行ってまんねんやろ!
なんか、安もんの指輪なんか、はめてまっけど、お宅がくれて騙さはるのでっか!」
えっなんの事?さっぱり分からず。「どういうことですか?ナニナニさんは結婚されて
ますよね。お嫁さんはIちゃんで娘さんの赤ちゃんも居ると聞いてますけど。
うちの店の帰りにはケーキなどをお土産に買って帰られてますが・・」
しばらく相手は無言で・・はぁ~~と深いため息が聞こえて来た。はあ~~と二度ほど・・。
「それみんな噓でんねん。あの子はそんな噓をついてまっか!小さい時からそんな癖があり、
このごろはなかったんで。小学校の頃は一人っ子なのに妹がいると友達にずっと噓をついて。
自分が欲しい物を作り出しそれを話すんですわ。よう言うて聞かせますわ。」はぁ~と切る。
すいませんは無し、若い男をたぶらかす性悪女にしてからに!誤らんかい!責任者出て来い!
その話を聞いた私の方が訳が分からず、しばらく口はあんぐりで・・皆に話すと皆も、
どういうことなんや。あのケーキは誰のための土産やったんやとか、いろいろ話し出だす。
結婚しているのにしていないと噓をつくのなら分かるが、していないのに結婚してると
言う人間がいるなんて、ましてや子供まで。本当に理解に苦しんだ。
それ以来H君は姿を見せなくなった。居なくなった彼につけたあだ名は、
<うそつきHちゃん>で、本人が居ないのに話題はしばらく残った。
皆いちいち<うそつきHちゃんがこうだった、ああだった>という風に楽しんだ。
なんでも直ぐに楽しむ呑気な店だった。
人が噓を着く時、たとえば小鼻がぴくぴくする、声が高くなる、目がおよぐ、
目を見ない、どこか落ち着かない、とかがあるが、彼はそのどれもがなかった。
だって彼の中では本当の話だったのだから。おみごと!恐れ入りやのタメゴロウ!