昨年、ドラマ化された「オレたちバブル入行組」は、あの頃をリアルに
通過した人間にとって別のドラマをそれぞれに思い出したと思う。
小さな町の小さな店でも、さまざまな事件が、バブル時代には起こっていた。
テニスのコーチをしてくれたN君も、大手電気メーカーに鐘や太鼓を鳴らして
入社した組みだ。こっそりと高級料亭で接待を受けるようなこともあり、
そこで内定に持ち込んで来る人事の当たり前の常識は平然とまかり通っていた。
「じゃ~」と、手だけを上げて帰る<我が儘おぼっちゃん>もその代表だ。
高級な店は座るだけで2万円は取られていた頃私の店ではタダで「じゃ~」で
帰る不届き者を生出したのもバブルがそうさせたのだ。
小さい時から大事に育てられ、良い大学に入り良い会社に入り親も鼻高々で、
世間での常識やしつけをしてこなかった世代だ。
小さな町なのに、大手の銀行、証券会社、有名な保険会社の社宅や寮が多く、
電車を乗り降りする背広姿の若者は、黒々と一塊の生き物と見え行き来する風景。
私が店をやり始めた頃は、後で思うとバブル期ももう終わりに近づきつつあり、
しかし世間はまだまだ続くと思い信じきっていた頃。
私などは無縁な世界、店も何の恩恵もなく「じゃ~」と片手を挙げて帰る族が
存在し何でや!と。店は満席だったのに<売上げがこんなんか~~>と叫び、
毎晩売上げを記帳し出納帳を恨めしく眺める日々でしかなかった。
証券会社に新入社員として入社した若者は、夏のボーナス200万円なり!で、
笑いの止まらない顔を浮かべ、それで平然と「ののさん!こんだけあった!」と、
そのボーナスになんの関係も恩恵もない私に報告。「凄いね~~」と言いながら
<親でもないのにあんたのボーナスの金額聞かなあかんねん!もっと飲め!食え!>。
心の叫びは、憤慨していた。
中にはこんな人も「公務員なんてやってられない」とあっさり辞め、株で儲け高いマンション
(3LDK4500万)を、投資として買う人、はっきりしない商売をグループで投資する人、
そんな話を車電話(かなり大きく重たい大袈裟な物)をわざわざ車から外して店に持って入り
大声でお金の話をしていた。旨みのある話には皆浮かれお金が恐ろしい位に飛び交っていた。
不動産屋も、ワァホワァホしていて、これもややこしい商売に手を染めていた。
女の子のバイト(若くはなく夜はスナック)を雇い、男の人に電話を長くするだけ、
それだけで凄い収入が得られたのだ。これは警察の手入れ寸前に及ぶ商売のようで、
こそこそとカウンターで話をしていた。私の店では安い定食を女の子達に食べさせ、
その後、高級なスナックに行くというパターン。
そして、ひたひたと狂い始める世界が来た。皆はそれを一時的な物として捉え
恐ろしい<バブル崩壊>とは思わない人たちがいたのだ。
小さな町で次々と暗い話が入って来る。マンションの購入した人は高いローンだけが
残り投資どころでなく、仕事も転々とし奥さんに苦労をかけることになったり、
親しくしていた人が、何億の借金で夜逃げ!その人が居なくなる前夜、珍しく彼が、
「店が終ったら飲まないか?」と誘われ、友人のオカマMさんと3人で行き、
帰りのタクシーの中でその人が言った言葉が忘れられない。
「ののさんやMさんみたいな生き方が羨ましいわ、なんでそんな生き方なんや!」
Mさんと私「そうやな、自分に正直なだけ、嘘がないのが共通してる二人やわ」と、
そして彼は居なくなった。親しいといってもそれ程でもなく不思議な最後の日だった。
その後、小さな町を去る人は一人や二人ではなく次から次へとどこへやら。
その殆どが老舗の店の息子(2代目)が、手を広げた商売の借金でそうなったのだ。
年老いたご両親は、苦労したまま体を心労のため壊し亡くなられたのもあった。
カウターを挟んで借金の保証人の欄に判子を押す人、それを見ていてどんなにか、
<やめとき!>と声をだし、止めたかったが出来なかった歯痒さに罪さえ感じた。
結局は逃げられ借金だけが残った人。
あのバブル期はこんな小さな町でも、いろんな人が大きく人生を狂わされた。
日本中に物語ではなく、騒然たる現実を残した負なのだ。
お金に無縁で良かった!今だに無縁だがね~~~。