今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

幼き頃・・・17・・梅田 御堂筋

nonoblog Post in 幼き頃から
3

 

夏休みに預けられる家<梅田のおばちゃん>のところは小阪とは別世界の所だった。

でも子供の私には決して楽しい場所ではなく、ただいつもと違う異空間で、見るものや

感じるものが多くあり、不思議なちょっと大人になるような、そんな錯覚に陥る場所だった。

阪神百貨店の裏にあり、御堂筋から1本入った所は繊維、特に毛布類や布団の問屋街で

ごちゃごちゃしていた。道も軒のテントとかが出るととても狭く、昼間に子供が遊べる所では

なかった。叔母の家に出入りするには御堂筋から小さなタバコ屋と靴の修理屋の路地を抜け、

店の横の入り口から入る。正面はパチンコ屋側にあり客が来るから家主の方が気遣うのだ。

トイレも階下にあるため私もトイレに行くのは気を使った。さすが都会でその頃に、<水洗トイレ>

だった。上からチエーンがぶら下がっていてそれを引っ張るタイプで時々流れないときもありトイレは

やや緊張する場所だった。小阪のくさいトイレの方が安心して出来たが夏休みが終わると友達には

自慢げに<水洗トイレ>について説明する嫌な子だった。 「凄いで水でうんこが流れるねんで。

くさくないねんで。紙芝居も夜来るねん。凄いやろ!やっぱり都会は違うわ!」と。

大人がやっと一人通れるぐらいの狭い路地は何時もおしっこの臭いがしていた。

御堂筋からそんな路地が何本もあり、抜けると毛布のなどの問屋街に出る。夜も賑やかだが

昼の問屋街も人が多かった。大人たちの顔はけっして明るくはなく皆何故かしら険しかった。

戦後から何年か経ってやっと食べるものとかはあっても生活するのに厳しい時代だったのだろう。

戦争は人間から笑いや柔らかさをも奪っていたのだと思う。その頃の私はそんな大人をすべて

怪しいと見ていたのかもしれない。夜になると酔っ払いのおっさんたちがおしっこをするし吐くし、

叔母の所のおばあさんが毎朝水を流して掃除をしていたがそれが乾くと二階にまで臭いは

上がって来ていた。

夜は薄暗く路地は電気もついていない、周りの明るさでぼんやりと黒く光っていた。そんな所を

時々大きなねずみが走り回り抜けていく。私が怖がっているねずみは小阪のそれとは比べ者にならない

三倍の大きさはあった。おしっこをするおっさんや、酔っ払いや、怪しいパチンコ屋周辺の大人など

毎日 二階の窓からどきどきしながら見ていた。夏休みは、緊張とわくわく感とが妙に入り混じって

少し大人になって終わって行った。

阪神の裏は今の第4ビル近くで、開発されるまで随分と長い間かかった場所だ。成人して梅田から

淀屋橋付近まで歩いて会社に通勤していたことがある。その頃でもやはり阪神の裏は怪しげな所だった。

夜になると おばちゃんが出てきて「兄ちゃん 良い子いるで」と所謂客引きが多い場所で有名になっていた。

私からすると 昔のパチンコ屋辺りのおばちゃんが職業を変えたように見えたぐらいだ。

叔母たちは早々と立ち退いていて西宮の方に引っ越していた。たぶん 今宝くじが良く当たるとされている

場所に広場があるがあの辺りが叔母の家付近だと思う。綺麗になった阪神の裏だが未だに私はあの頃の

梅田 御堂筋が強烈に重なって見えてくる。

大阪駅前の写真。 丸いカーブの阪神百貨店。この裏がわに、毛布などの繊維街が、あった。

800px-Hanshin-Dept-Umeda-Store-01 1968umeda-ekimae

 

 


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

瀬田の花火

nonoblog Post in 日々いろいろ
0

 17日に瀬田の花火を見に行った。

 昔からいろんな繋がりがある、音楽劇団 「てんてこ」の事務所が花火の上がる場所前にある。

 今回、事務所を移転するというので最後かもと言われ料理をつくり参加。

 唐橋付近は屋台やらちょうちんが出ていて祭りモード満載。こちらの席もいろんな料理や酒があり

 花火が上がる前から盛り上がる。大宴会場状態だ。

 大きな花火が目の前で上がるのを見るのはもう何十年ぶりだろうか。

 毎年、見ているこの近くの人たちは詳しく神輿の船が来る合図だとか、その後に花火が

 始まるとか説明してくれる。始まりだし<おおおお~~~>と歓喜の声を出して喜んでいたら

 なにかのトラブルで止まってしまう。詳しい地元の人は「滋賀は今予算ないから削ってるのや!」

 とか いろんな事を言っていた。しばらくしてどんどんと派手な花火が打ち上げられだす。

 どうしてこんなのが出来るのかと不思議な見事さに、<男の仕事やな~男のロマンやな~と。>

 私が男やったらやっぱり花火師に一度はなりたいと思っただろう。

 花火にいろんな思いを込められているのを感じた一夜であった。

   てんてこの皆さんありがとう。

おおおおおお~~~~


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

鳥のつくね焼き

nonoblog Post in のの流 うまいものレシピ
0

つくね焼き

材料

鳥ミンチ       200g

鳥腿のミンチ    100g

鳥軟骨        100g

玉葱         4分の1

しょうが        半カケ

卵           1

片栗         少々

にんにく       1カケ

塩 粗びき胡椒   少々

酒           少々

 

作り方

軟骨は三角のを使う方が良い、細かくする。

玉葱、にんにく、しょうがをみじん切りにして

卵 塩 胡椒 酒 片栗を入れミンチと鳥軟骨と良く混ぜる。

フライパンにカップ1ぐらいの水を入れ

形を整えたつくねをいれ両面を焼き蒸すようにする。

その後に魚焼きなどでくしに刺し焼く。垂れをつくり

又フライパンで垂れをつけて焼く。

面倒ですが焼き鳥屋の味に近いものが出来ます。

付け垂れ

出汁に醤油 酒 さとう 蜂蜜で煮立てる。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

セロリ かつお

nonoblog Post in のの流 うまいものレシピ
0

untitled

材料

セロリ     2~3本

カツオ   ぽんず

 

作り方

セロリは簡単に筋を取り 斜め切りに。

カツオとポン酢は食べる一時間前ぐらいの方が良い。

箸休めに良い。油物のときの一品でほっとする。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

なすとみょうが和え

nonoblog Post in のの流 うまいものレシピ
0

IMG_0346

夏の食欲のない時にはこれ。

材料

なす    2本

茗荷    2本

大葉    5枚

作り方

すべてを細かくして 塩でもむ。

水で塩を流し 固く絞り ポン酢とかつおをかけて。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

またまた 奈良

nonoblog Post in 日々いろいろ
0

日ごろ何かと世話になっているSちゃん(娘と同じ年)と木津の陶芸家の所に作陶に行く。

この教室は日曜日に教えられえているので働いている人には都合が良く、ぼちぼちと行っている。

廃校の幼稚園を借りて交野から引越して来られた。小さな子供もおられるので子育てには最高かも。

畑と陶芸をと、ここでの生活を始められたがサルが出没するのが半端ではなく 畑の収穫は難しそう。

作陶中にもノシノシと歩くサルや母親のお尻にしがみついているサルが平然と塀をつたって行く。

それを見たら先生は目の色を変えてゴムのパチンコをさげて村の人々とサルを威嚇しに飛び出す、

静かな村がそのときだけ大声をだしたりしてまるでなにかのイベントのようになる。外部者の私達は

笑って居られるがせっかく育てた作物を全部サルに食べられるここの人々にとっては(にっくきサル集団)

なんだ。そんな所に月に一回ぐらいの割合で来ているがたいがいはSちゃんとその後遊ぶのが目的に

なって来ている。今回は奈良で有名なカフェ「くるみの木」に。先日東京の友だちと行ったのだが残念な事に

ランチの時間が終わっていたので食事を逃した。さすが人気のある店で名前を書いてから約1時間は待つ。

その間は隣の雑貨店で時間を潰すよう上手く考えられていて、雑貨も今流行のこだわった自然派の物が

中心に集められている。出された料理も野菜や鳥など素材の味がきっちりと分かる。久々に素材の味が舌に

のったときから喉ごしを通過するまでを感じた気がした。満足満足でした。

くるみの木胡桃玄関

 

 

 

 

 

 

くるみ献立 くるみ こんだて、胡桃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひよこまめともちきびのごはん。串揚げ。蒸しなすの海老そぼろ。苦瓜の卵焼き。トマトのサラダ。

にゅうめん。黒糖のゼリー。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

幼き頃から・・・16・・なんで母似でないのや!

nonoblog Post in 幼き頃から
0

母の写真を2回程公開しているが母の事を皆が美しいと言ってくれる。

娘の私が言うのも変だがやはり美しいと思う。娘時代には映画会社からも誘われたと聞いた。

母の妹(叔母)も美しいと思うのだがその叔母が、「あんたらのお母さんは綺麗だったから

生き方が間違ったんや。家ではお嬢さんだったから何もさせなかったし、あんたらのお父さんも

お嬢さんを貰ったから奥座敷に座らせて何もさせない、苦労させないと言って結婚したからな。

いざ 大変なことになったら何も出来ないから、綺麗だけが売り物で水商売に入ってしまい

世間知らずで始めてのことばかりやから、生き方が狂っていったんやわ。」と話してくれた。

家を出た母がその後どんな風に生きたか、再会した時、中学生の私は分からなかった。

しかし、小さい時の母とは違っていたのは確かだった。

それでも母は、顔だちだけは変わらなかった。日本人で一番良い輪郭とされている卵型だ。

私は父似の輪郭で四角い顔だ。昔、下駄とか将棋ばんとか言われ、一時期預けられた所の

意地悪な従妹には<南京に爪形>と言って笑われていた。とても傷ついた。<南京に爪形!>

腹が立つがなかなかの表現だと感心してしまう、南京に親指の爪で押して見ると細い目の顔が

出来る。(ふ~ん こんなんが私か・・・南京に爪形) かぼちゃを食べるたびに思い出す、あの従妹!。

(なんで母に似なかったんや!なんで四角い顔に産んだんや!なんで父と結婚したんや!)と

叫んでしまいたいくらい四角い顔が嫌だった。輪郭が母似の卵型だったら、もうすこし美しいとか

言われて来たものを、と思ったものだ。何故か姉も兄も皆、四角い顔で、誰一人母似でなかった。

でも店をした頃には自分の顔にも愛着を持って生きていたから<エラいち族>なるものを結成し、

四角い顔の人だけを集めて楽しんでいた。会に入りたくてもエラが張ってないと入れない厳しい掟を

作り、欠点を利点にし他の人が羨む遊びに転じて行った。その中には歌手のM嬢もいて、小さい頃、

彼女もエラが嫌でお風呂でフヤケタ所をタイルでゴンゴンと当て引っ込むと思い、無駄な努力をしていたが

それが原因で逆にりっぱなエラが出来たと告白をしてくれた。 悲しい<エラいち族>のエピソードだ。

写真は、絵に描いたような母と母の兄妹だ。

叔父の大学と叔母の美容学校の費用を父が出したように聞いていた。

<四角い顔>の父だったが凄かったのかも。

8月16日送り火の日の朝、母は旅立った。オペラ歌手になりたかった人は一番美しく

輝ける日を選んで逝った。

左が母、母の兄と妹。母と私の長女が似ている。恐るべしDNA。

母の3姉妹母と叔母


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

久々の夜遊び

nonoblog Post in 日々いろいろ
0

奈良の一日は充実していて、めずらしくゆっくりぶらぶらし良い夏休みを過ごした気分。

始めに薬師寺にお参り、とても暑い日なのに昼前にはぞくぞくと人、人、人 バスが8台。

元気なのはシニアのおばさんだ。何処にいっても闊歩している。

相手から見たら私もその一人だが。

美しいと思ったのは六重に見えるが三重の塔の東塔。全体として律動的な美しさから

(凍れる音楽)という愛称で親しまれているみたいだ。

その後は唐招提寺にいく。宝殿を出た所で美しい木に出会う。始めて見る木だった。

キササゲという、のうぜんカツラ科で薬用にもなるらしい。実が利尿作用に良いみたいだ。

車を駐車場に入れホテルに。スーパーホテルだが安くて天然温泉だ。自宅から一時間弱の

所で泊まるのも小旅行気分にしてくれた。以前よく行っていた「蔵」と言う店でおでん、少し酔いが

来てホテル近くの店でまた 一杯。良い酒がいっぱいおいてある、店主が気持ちの良い人でぜひ

また行ってみたい店。    浪漫酒茶屋 「四季遊人」でした。

友ともいっぱいしゃべって、笑って本当に良い日、 良い酒だった。

そのうち のの企画奈良ツアーを開催するぜよ!乞う ご期待!

スーパーホテルはなんと 安い!

月曜 金曜 日曜に限り60歳以上3400円で泊まれるのを帰って来てから発見。!

きささげの木


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

奈良にて

nonoblog Post in 日々いろいろ
0

うらた

うらたじゅんさんが「黄色い潜水艦」の追悼号に載せたイラストです。

私の引越し祝いに額に入れていただいた自筆です。

ーーーーーーーーーーー

奈良には住んでいる枚方から車で4、50分で着く。

東京の友人が奈良に泊まると言うので久しぶりに出かけた。

奈良は小説家の川崎彰彦さんがこの2月に亡くなられるまで 出版パーティーに

出席したりして出かけることがあったがゆっくりするのは久しぶりだ。

車で走らせながらいろいろと思い出された。

川崎彰彦さんは五木寛之さんと早稲田大学時代の同級生で こよなく酒を愛し続けた人、

牧野に住んでおられたときには店に足しげく通ってくれたダンディな人で帽子がとても

似合っていた。 会った時は酒が原因で一度倒れられた後だ。

その頃は店も賑やかで毎日お祭り騒ぎのような毎日だった。

川崎さんもエノケンの「おれは町中で一番 粋といわれた男・・・」とご機嫌で唄い

店の女の子たちにも人気があった。Pちゃんには「結婚するなら川崎さん!」と言われて

大いに照れている川崎さんだった。18歳の女の子にだ、周りの男どもはやきもちを焼いていた。

牧野の学生アパートに住んでおられ「息子が阪神フアンで東京から来るのでママ、この2階に

泊めて貰えませんか」といとも簡単に頼まれ、こちらもいとも簡単に「いいですよ」と言って

2階に泊まって貰った事もあった。その後奈良の浮見堂の側に引越しされた。一度冬に鍋の

道具をすべて用意してドイツ人が別荘として建てたアパートに何人かでお邪魔した。別荘の後は

ラブホテルになったこともあるらしく階段の赤い絨毯が何とも言えない雰囲気を醸し出していた。

ふんだんに飲んだ私たちは酔いながら奈良公園を散歩、その時に梅一輪を頂き、魯迅の写真の前に

飾り「主人の卒論が魯迅だったんです。」と活けたのを (短冊型の世界)にこんな風に書いてもらえた。

小さな本棚の上の

魯迅先生の写真の前に

白梅の短枝が活けてある

花器は私の湯飲み茶わんだが

私が活けたのではない

きのう来た酔漢酔女のうちの

一人の酔女のしわざだ

宿六の若い日の卒論が魯迅だったと

いっていたっけ

その後 2回目に倒れた川崎さん。

私が精神的に悩んでいた頃、奈良のリハビリテーションにお見舞いに行った事がある。

その時私は何も言わないのに「ママ こんなになったよ。でもママは

惨めになる人ではないから・・・」と。 不自由になった口で言って貰えた私は

帰りに涙が止まらなかった。お見舞いに行った私が慰められ救われた。

何事かあるとき何時も(私は惨めにはならないのだ。川崎さんが言ってくれたわ。)

と自分に言い元気づけられてきた。人は自分は気づかないで言葉で救っていると思う。

うらたじゅんさんが「黄色い潜水艦」の追悼号に載せたイラストです。

店を辞めて5年以上になるが一度も写真など見ても泣いたりしなかったのにこのイラストでは

泣けてしまった。写真よりある意味いろんなものが詰まっています。

川崎さんいつも飲んでいたカウンターですよ。

初盆ですね、川崎さん、どうぞ思いっきり飲んでください。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!


今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

幼き頃から・・・15・・ええ事あるから・・

nonoblog Post in 幼き頃から
2

1年生になって何時も一緒に帰る女の子がいた。どうしても名前が出てこない。

帰る道が同じでその子が先に家に着きそれから時々私の家に来ることがあった。

あんなにいつも一緒だったのにどうして名前が出てこないのか不思議でならない。

洋子ちゃんははっきり覚えているのにこれは残念でならない。

ある日の帰り「ここで待ってて」といつも土手のところで待つように言われ座って待っていた。

家は土手の下で原っぱか畑かの所にある小屋のような建物で窓が木のツッカイ棒で開けている。

その日は中が丸見えだった。昼ごはんで皆何か回してかけている。どうも醤油のようだった。

美味しそうだったので私はそのまま家に飛んで帰り、同じようにご飯に醤油をかけて食べようとした。

母に見つかり行儀が悪いからしてはいけないと叱られた。あの子の所で皆して食べてたと言っても

食べさせて貰えなかった。しかし、母はその子の家の事は何も言わなかった。

またある日、その子に「今日な凄くええ事があるから着いといで!」と誘われた。

行くと大勢人が列を成している。一番後ろに二人で列に着き、歩いて階段を登ったりと

随分と時間がかかったがなかなか<ええ事>が起こらない。

何か妙な気持ちがあったが一人で帰るにも道も分からないし何より<ええこと!>にわくわくしてたから

その場から動けなかった。いよいよ<ええこと>が来た。皆に何か配られている。「これか!」

私の手にも紙に包まれたカステラのような小豆色のお菓子が渡された。

「な!ええことやったやろ!食べて良いよ」と誇らしげに言われた。

少し不安な気持ちを抱えながらも始めて見るお菓子を人から離れた所で二人で食べた。

(美味しい!なんだろう。この味!美味しい!)

でも家に帰って言うと叱られそうでこの事は絶対に言ってはいけない気がした。

どうやら私は在日の人のお葬式に着いて行きお菓子を貰ったみたいだった。

<ええこと>に惹かれ全く知らない人のお葬式に着いていきお菓子を食べた事にホンの少し

(悪いことした)という気持ちを持った。その子も在日だったと後で知る。

しかしそのお菓子の味だけは忘れられずずっと追い求めたが長い間出会うことはなかった。

40歳前に店を始め鶴橋へ買出しに行った時、あった!私の幻のお菓子!長い間探し求めたお菓子!

伸し餅のような大きさで小豆色をしていた。もちろん買っておそるおそる口に入れた。この味だ!この味!

でもあの時の<美味しい!>と言うのではなかった。店の人に聞くとお供え物や日本での法事のような

時に必ず作り、配ったりするらしい。

35年近く探し求めたお菓子に出会ったがあの子の名前は思い出さなかった。

m19


にほんブログ村 ライフスタイルブログ ライフスタイル情報へ *ポチしていただけると励みになります!