今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

春雨の中華炒め

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IMG_0108 春雨中華

材料

春雨        一握り位

豚肉        100g

人参        4分の1

干ししいたけ    2枚

ニラ  土生姜 ゴマ 少々

醤油 酒      大匙1.5

 

作り方

春雨は茹でる。 適当にざく切りする。

フライパンにごま油、豚肉と生姜千切りを炒める。

よく炒めたら人参の千切りと干しシイタケを入れ炒める。

酒 醤油を入れ 最後にニラを入れる。

皿に盛り付け、ゴマを振る。


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オイルサーディンの大葉巻き

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材料

オイルサーディン     1缶

餃子の皮、大葉は、サーデインの分量。

梅肉      少々

 

作り方

餃子の皮に大葉をのせ 梅肉を少しつけ オイルサーディンをのせ

フライパンで焼く。 味付けはなしで良い。ビールにとても合う。


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揚げチーズ

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材料

餃子の皮

プロセスチーズ

油    少々

作り方

餃子の皮にチーズを巻いてやく。

焼くのがポイント 油で揚げると中のチーズがとろけすぎになる。

フライパンに少し底に溜まるぐらいの油にして焼く。


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新生姜と枝豆のかき揚げ

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材料

新生姜    大 2本ぐらい

枝豆      一握り

小麦粉    少々

作り方

新生姜は短冊切りで 枝豆と合わせて かき揚げにする。

簡単で、凄く感動の味。


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枝豆の雪時雨

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IMG_0960綺麗な名前の料理です。夏はやはり枝豆は欠かせません。

子供にも人気で簡単なオツマミになりお客さんのお持て成しにも良い。

材料

枝豆     そのまま使える枝豆が冷凍であります。(生協)

大根     3分の1本

シーチキン  一缶の半分

作り方

枝豆に大根おろしとシーチキンをのせポン酢で食べる。


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幼き頃・・・・11・・・姉の嘘つき!

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家が、駅から離れているので 幼稚園も遠くて行けなかった。友達もなく、もっぱら一人で

山の桃の木の下でゴザを敷いて人形と話をしたり、歌を勝手に作って唄っていたり、

姉たちが遠足の時は、お弁当を作って貰い、桃の木の下で人形と食べていた。

幼稚園には一度面接に行った事がある。園長がテストにいろんな色を指でさし、

「はい、このいろは?このいろは?」と、順調に進んでいたのだが、ねずみ色を指された時、

言えなくて固まってしまった。「これよ。これ!」と、見せられたのは、本物そっくりの鼠の玩具!

それを見た途端、「わあ~~~~」と泣き出した私!。面接は終わった。どうやら落ちた。

そんな頃にテストがあったのだろうか?疑問は残ったが、幼稚園には行かなかった。

お陰で一人遊びが上手な子になっていった。ゴザに寝そべって雲を見ているのも好きだった。

そんな私だったが、姉の存在は大きく、何をするのも、姉の後にくっ付いていた。

だから、時折姉が遊んでくれる時、とてもうれしかった。4歳年上だから遊びは限られていた。

姉は人形などで遊ぶタイプではなく、木の上に登っているのが似合っていた。

私とは、いつも、かくれんぼだ。

家の中はかくれんぼをするのにとても適していて、ぐるりと家中を、周れる構造になっていた。

どちらもが、2回程鬼になったりしてから、姉がいきなり「今度は私が鬼になったるわ!」と、

「えっ 良いのん!」「うん、いいよ!」「もういいかい」「まあ~ だだよ」「もういいかい?」、

私は五右衛門風呂の中へ蓋をして息をひそめ姉に見つからないように待つ。

しかし、何時まで経っても、姉が見つけに来ない、来ないどころか姉の気配がない、

不安になり、反対に鬼でない私が「おねえ~ちゃん、 おねえ~ちゃん」と捜しだす。

いない!。 姉がいない!。

ふっと外を見ると、ケラケラと笑い、振り向き振り向きしながら、坂を走り降りている姉を見つける!。

「おねええ~ちゃ~ん」と 叫ぶ!。姉はケラケラ笑って飛んでいるように見えた。

その頃親が居ない時は、誰かが留守番をする事になっていた。私のような小さいのでもさせられた。

姉は一度ではなく何度も「今日は絶対に噓はつけへん!針、千本飲むし! ぜったいのぜったい!」

と約束するのだ。が、結果はケラケラ笑って坂をころげるように行く姉を見る結果となる。

姉の行く先は下のほうの家(ちょっこさん)のところだ。

(ちょっこさん)本当の名前はなんだったのだろう。千代子さん、ちよさん ちこさん なんだったのだろう。

姉には何千本の針を飲んで貰うことだったかと・・・。

そうして、悔しがる私に「騙されるあんたが、あほやねん!」と、悲しい言葉で済まされた。

思い出すとケラケラ笑う姉の顔は、(じゃりんこちえ)の大きな口を開けた笑い顔に似ている。

 


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幼き頃の・・・10・・時計台のバス停

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今から6,7年前だろうか、店をしていたときのスタッフM嬢と高槻の温泉に行った。

温泉へはバスが枚方まで迎えに来てくれる。そのバスが高槻

JR駅をすぎて広いバス通りに出た時、懐かしい微かな記憶が甦ってきた。

「あっ 小学校!芥川小学校や!」そう一年生だけ通った小学校だった。入学式の写真にあった先生の

名前まで思い出した「吉田先生や」。また、劇の発表会で乙姫さんをした事。浦島太郎の子が本物の

まんじゅうを食べてセリフを言わないので私が「あんたの番やんか!」と。 大人たちに大笑いされた。

芝居好きになったルーツは乙姫さん、やったか!と妙な気分になった。

<もうすぐあの時計台を通るはずだ。>じっと記憶をたどるように風景を見ていた。あった!

思っていたより<小さな時計台?><鉄柱に時計>のようだったがそんな事よりあったんだ!

涙が出そうだったが、M嬢と一緒なので救われた。一人だったら降りていて、泣いていたかも。

あの家はどうなったんだろう。山や畑は? そう言えば兄だけが随分前に一度だけ見に行った事があると。

家が在ったと思われる所は新興住宅地になり家の山や畑もすべて家が建っていたらしい。

奥の山の方には新幹線が走っていたらしい。未練がましい兄は「おやじが失敗せえへんかったらなあ~」と。

相変わらず、悔しそうに言っていた。

人形と遊んだ桃の木、ハンモックを吊って昼寝した松ノ木、兄が一人で食べていた栗の木、ぶどう棚、

姉が嫁に行く時に箪笥にすると言っていた桐の木、兄が叱られ、裸でぐるぐる巻きに括られていたもみの木、

ボケの花、まったけの取れた山、父が兄に野球をさせるため山を梳って創った広場、鶏小屋、ウサギ小屋、

サルが来ていた窓、金のなる木が生えるとお金を埋めた名も知らない木、山の中に掘られた空井戸、

空井戸に石を投げた時の音、ほんの少しで、でもいっぱいの、小さな頭に残っていた大きな風景だ。

そんな所で、子供たちを育てる父や母なりの想いがあったんだろうなあ~。

ーーーーーーーーーーーー

その頃流行のラジオドラマに「鐘の鳴る丘」というのがあり、歌で時計台と言うのが出てくる。

時計が、はっきりと分かる神社のような公園に、バス停が、流行で作られたのだと思う。

この歌は覚えているのにドラマは覚えていない。でも歌を唄うと涙が出てくるし、悲しくなる。

確か、戦争孤児の話だったと思う。覚えていないのに悲しい話だったとだけ残っている。

美空ひばりの「ガード下の靴磨き」も同じだ。「おじちゃん 靴磨かせておくれよ」の

セリフで必ず泣けてくる。今でも泣けて云えない。ドラマはS22年から600回も放送されたらしい。

220px-Tongariboushi 鐘の鳴る丘少年の家

(かねのなるおかしょうねんのいえ)は

群馬県前橋市堀越町にある青少年養護施設

法人名「社会福祉法人 鐘の鳴る丘愛誠会」。

1947年菊田一夫作のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」に

感銘を受けた初代園長の品川博が創立した(養護施設認可は1948年)。

1972年から特別養護老人ホームも併設する。

 

 

緑の丘の赤い屋根

とんがり帽子の時計台   鐘が鳴ります キンコンカン

メイメイ仔山羊も 鳴いてます

風がそよそよ、丘の上

黄色いお窓は おいらの家よ

菊田 一夫 作詞

 

 


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枝豆の白和え

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  夏にには欠かせない枝豆。そのままでも美味しいのだが

最近は子供にも人気のためよくするのが白和え。

材料

豆腐    1丁  ( 家族が多いためだが3分の2でも良い。)

枝豆    手のひらで一掴み強ぐらい。

ゴマ    多い方がおいしい。

醤油   みりん 少々。

 

作り方

豆腐を湯通しする。 しっかりと重石をして水切りをする。

すり鉢でゴマをすり その中に豆腐を入れ一緒に擂る。

枝豆はゆで豆をいれ醤油 みりんで味付ける。


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らっきょのつけ方

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いろんなつけ方があると思うが一年たってもパリッとしているのが このつけ方です。

材料

らっきょ     1㌔

玄米黒酢   250cc

きざら     250g

水      90cc

塩       45g

 

作り方

らっきょはなるべく鳥取産の大粒を選ぶ。

土つきが良いが洗いらっきょでも。

土つきでも洗いでも 薄皮をきっちりととりのぞくのがポイント。

ここでケチらないのが良い。

らっきょをボールにいれ塩をまぶし 重石をして一晩おく。

一晩置いたのを水洗いししっかりと水をふき取る。

瓶にらっきょをいれる。

鍋に水をいれきざらを溶かす。

溶けたら黒酢をいれ煮る。沸騰する前に火をとめる。

温かいままらっきょの中にい入れ 好みで赤とうがらしを入れる。

一月ぐらいで食べごろになる。甘みが好みだと蜂蜜を少し入れるのも良い。


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幼き頃・・・9・・一番好きだった家

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何故、母の登場がないのか?姉妹は?とか思うだろうが、殆ど、一緒に暮らしていなかった。

だから、当然記憶に残らない。一家で長く過ごしたのが高槻の家で、小学校1年生までだ。

生まれたのは摂津富田だが幼すぎて何も覚えていない。すぐに高槻の家に引っ越したようだ。

父が、戦争はますますひどくなると思い、街中より山の方が安全かと高槻に家を建てたらしい。

そうした点は、先見の明があったのだと思う。摂津富田の頃が一番景気は良かった様だが、

高槻から浮き沈みが、始まったようだ。私の記憶が残る頃だから、私は良い時を知らない。

高槻の家は町からは、奥の方にあり、家から先は、山で誰の家もないところだった。

父は仕事さえ上手く回っていれば、陽気でハイカラで、子供の教育も斬新で母の事も大事に、

した男だったと思う。

それは家の設計にも出ていて、兄と姉と私3人の勉強部屋はサンルームになっていた。

戦争中に建てたと思うのだが、どうしてそんな家が建てられたのか分からない。

父は、人が来ると必ず「サンルームって言いますねん。」と得意な顔で説明していた。

台所も真ん中に料理屋のような引き出しつきの大きな調理台があった。

そこで父がうどんを作ってくれた事がある。母は殆んど料理らしいものは作れなかった。

母の料理は、何も覚えていない。父がおやつに「カルメラ」を作ってくれたり、中国料理を、

作ってくれたりしたのを、覚えている。何事もまめで凝り性だったのだ。

兄は、何かにつけて気に入らないと、泣くし、切れて暴れ、暴力を振るう性格だった。

私からは、6歳も年上だから、すごく離れている感覚があり、怖くてずっと好きになれなかった。

兄が亡くなるまでそれは続いた。家が良い時代に、長男として大切に育てられ、それが抜けきれず、

可愛そうな性格のまま終わった人だ。

何時も口癖で「おやじがあんな失敗しいひんかったら、俺は、医者になりたかったのじゃ」と、

何時も愚痴っていた。お酒を飲んでは、そのことを、繰り返し、繰り返し、していた。

それを聞いている姉と私は、<絶対に無理やった>と思っていたが・・・。

姉は、いろんな才能を持っていた。父や母に余り頼らずに、一人、我が道を行くと言う風だった。

兄より強かった。そんな姉には、兄も、一目置いていた。随分と小さいときでも近所の子供に

兄が泣かされたと聞いて、竹ざおをガラガラと引きずり敵討ちに行ったとか。

この話は、親戚の集まりには、必ず、話されていた。兄が亡くなるまで、姉との関係は変らなかった。

兄と姉と一緒に遊んだ事の記憶は、私には短く、数えるぐらいしか残っていない。

遊びでの一番はターザンごっこ!。竹やぶから竹やぶへ竹に縄を結び「あ~あ~」と行き来するのだ。

もちろん私は出来ないで見ていただけ、木の上に登っている姉が、「おい!チータ!」と、私を呼ぶ。

いつもチータは私。「木の実を取って来い!と命令する。私はターザンにくっ付いているチータだ。

それでも遊びに入れて貰うのがうれしくて「きゃきゃきゃ。はい!」なんて忠実に本当に山の中で

木の実を探し、渡すのだった。「もっと取って来い」「きゃきゃきゃ はい!」と。

確か <うすい>と言う木の実だったと思う。長く見たことがないが・・・。

姉は木の実を食べて笑っていた。後で「あの子はチータになってるのが好きやねん。何ぼでも木の実を

取ってくるわ~~。あ~面白かった!」と 兄に言っていた。調子に乗せられていたのだ。

高槻の家を出るとき、<いつか又金持ちになってこの家に戻ってやる!。>と微かに思ったようなのは、

一人で、後で作った気持ちのような気がする。

下の写真の家の周りにいっぱいの家具が並べられた。

後で出てくる従妹と母、兄、姉。こんなに映っている写真は一枚だけだ。家はまだ、酷くなかった時代。

犬の名前は「ジープ」。兄は、この頃笑っていたのだ。

家好きな高槻の家


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