ブレヒト・「三文オペラ」 演出

写真があまり残っていなかったのだが、総勢40人以上の出演者、

この三文オペラは、いろんな方々の協力を得て実現出きた公演だった。

劇団の15周年記念プロデュース公演・

1992 6月13日 14日 京都府立府民ホール アルティにて。

makku おやじIMG_0173 マック 娼婦達とこじきたちの         IMG_0172 マック 舞台2

協力いただいたのは、創造集団「  」アノニム・民謡合唱団<篝>、個人の方々と、

なんと10人の劇団員で応援が34人。

アルテイの舞台を上手く活かした美術(西野隆次)が、良かった。

私は、<乞食の友商事>のピーチャムの妻(セリア)を演じた。

衣裳も担当したが乞食の衣裳は、要らなくなった服を集めドラム缶で、一度少し燃やし、

直ぐに洗濯機で、回す。そしてボロボロになったのを、自宅で干す。

ご近所からは臭い布を燃やす変な女性と噂をされたりといろいろとエピソードはある。

森田さんは普段はフリーの効果マン、日曜に稽古があったりするので、

仕事は断りを いれていたりで収入が激減、ご自宅は一番大変な時だった。

子ども達もまだ幼く3人。

この作品は「篝」にも所属していた玉村信雄さんの、音楽監督の力も大きかった。

玉村氏は、生涯に一度上演したい作品だと強く希望されたのだった。

この時から22年たった。

関わっていただいた方の中で、森田さん、玉村さん、照明の船坂義一さん、

舞台監督の辻 登さんと、すばらしい人たちを失った。

パンフレットの中から・・・ 近藤 公一氏(近畿大学演劇科主任教授)の言葉。

(後に同志社大名誉教授 ドイツ演劇。2003・3月 死去。)

批評の魂、音楽の魂。 題されて・・・一部記載・・・。

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鮫にゃ歯がある・・・

鮫の恐ろしさは遠いところの話かと思っていたら最近身近に犠牲者が出て、

メッキー・メッサーのモリタートの比喩も依然身近になってきた。

メッキーのどすは表にはみえない。

ピストルも何も持たない一見紳士風の泥棒や、 殺し屋がウヨウヨしていることは、

今更云うまでもない。

労働者諸君もマイカーや、マイホームをもち小市民化した。

文化は装飾過剰のバロッコ化し、演劇も又、美食化、グルメ化し、かってのブレヒトの、

ワイルが「三文オペラ」で主張しょうとした批判的テーマはまさに今日の我々自身の問題である。

「・・・・大企業の背後には銀行がある。株にくらべれば合鍵などなんだ?

銀行の設立に比べれば 銀行襲撃などなんであるか?・・・」イデオロギーの問題でなく、今日の我々の現実である。

社会主義の実験が失敗したからといってこの現実がこのままでよいとは思えない。

「三文オペ」の批評の魂が決して教条的でないのは、その豊かな音楽のの魂の人間性にある。

自立の会の勇気ある挑戦に期待し、観客の皆さんと共に考えたい。

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