年賀状の整理をし、お年玉くじの当たりを調べ、120分の1しか当たりなし。
新年を迎える事は一つの区切りと、何かを考えるためには良いと、思っていたら、
あの阪神百貨店が、建てかえられるというのを知る。
元々、このブログを、始めるきっかけになったのは、カテゴリーの「幼き頃・・」の話を、
書きとめて行きたかったのだ。今年はそれを、もう一度、細かく見直して編集しておこうと、
思っていた矢先のことだった。
以前から不思議な事に、小学6年生までの記憶が鮮明で、映像を観るかのように、
風景や音や声や臭いまで、頭の中で、繰り返し出て来るのだった・・・・。
その記憶の中に、阪神百貨店の裏に親戚の家があり、夏休みに預けられた事が臭いまで、
はっきりと覚えているのだ。
1950年に建てられた百貨店、その4年後、その場所にいた。
阪神の裏の方は、戦後にいい加減に建てた家がひしめき合っていた。
主に毛布や、布(キャラコ)などを扱う小さな問屋街、みんな生きる事に必死だったのか、
大人たちは、目が殺気だっていたように思う。
路地からの風は、鼻をツンと突くおしっこの臭い、路地の通路はいつもじめじめとして暗かった。
その問屋街を抜けると北新地なんだが、ほんの少しだけ新地の入り口に、名残りを
感じることが出来るが、それも時間の問題だろう。
どんどんと梅田は変わって行く、綺麗になっていくが、ほんの少し寂しい。