福島から中手聖一さんの話・胸が詰まる。

22日、枚方で行われた講演は、とても良かった。

中手さんは静かに、3・11以降のとき、福島ではどんなことが起こっていたかを、話された。

<メモを取っていた程度なので、印象深い、胸のつまる想いの話がいっぱいだったところを話したい。>

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3・11、家族とともに中手さんはすぐに非難された。その後 中手さんだけは福島に戻られたが、

奥さんと子供さんは、そのまま、岡山にいる。所謂<母子疎開>だ。

今、6万人が何らかの形で自主避難している。その中でも、ぼちぼち、帰る人なども出てきている。

飯館村では今、県外非難していても、戻る人も多いのだ。みんな、住んでいた所に帰りたいのだ。

3・11 以後 学校ではどんな状態だったか、3月14日が終業式で、その後春休みに入った。

始業式はどうなるのか?子供達はこんな中で学校に行って大丈夫なのか?と言う中で、説明会が開かれた。

長崎大学の<山下俊一>、<神谷研二>は法律的にはなんら問題ないといったのだ。例の20マイクロシーベルトだ。

外で一時間遊ばせてもどうもないと。 お母ちゃんたちは「もし、先生の子供さんをここに連れてきたら、遊ばせますか?」

と。すると、「そうですね、30分ぐらいなら・・」と言ったそうです。この、非人間的な言葉を吐く御用学者は大きな犯罪者と

私は思う。中手さんは<渡利地区>におられるのだが、今は除染問題だ。水で高速でしている除染を先ず行った。

しかし、それは、周りに拡散するだけで、水で流れた土や泥を、また、集めて土嚢に入れなければならなかった。

三日程するとその土嚢が消えていて、どうしたのか?聞くと、一般のごみとして、集められ、他の地域からの苦情があり、

回収すると言うような事が行われたのだ。その土嚢はそのままに、なっている。

その後に台風がきて、また、汚染されていた。山から里に下りてくるのだ。

中手さんは、言う。今住民の感情はゆれている。行政はいま、非難は言わない、とにかく、除染なんだと。

しかし、福島から、非難する人は今後、増えるだろう。県も国も認めなければならない状態がそのうち来るだろうと思う。

何万、 何十万単位になると思う。

三日前に、福島市長が新年度の入学のヒヤリングをおこなったら、去年の半分だったのだ。

これから、自主避難する人が増えるだろう。しかし、その人たちにも国が助けてやって欲しい。保障をして欲しい。

好きで他の土地に行ったのではないのだ。選択せざるを得なかったのだ。

皆さんに言う。私達は事故のとき、福島にいて、なにも知らされなかったのです。中にいると、なにも分からないのです。

もし、皆さんの、近くで、原発事故が起きたら、とにかく そこから出来るだけ 遠くに逃げてください! 

とにかく逃げてから、考えてください!。私達の多くは何も知らせれない中、子供達は、その時マスクもしないで、

汚染の町を歩いていたり、学校に通っていたのです。事故が起こったらすぐにです。それが、大事なんです。!

先ずは非難です。福島に近づけば近づくほど情報がなかったのです。私が知ったのは<BBC>でした。

北海道新聞です。「外から 眺めないと何も分からない」と 二葉町の町長も言ってました。

二葉町は、すぐに埼玉に町民が避難しました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーつづく。

メモから 思い出しながら書いているので、また、この後は続けたいとおもう。

渡利地区 問題に関連。下記。

子供達を放射能から守ろうの署名。

http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-cc9d.html

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