「箱根駅伝」と母の思い出

大好きだった高槻の家。
一番楽しい頃の風景だったと思う。
母に抱かれているのは私。
まさか、これから7年後に一家がバラバラになるなんて。
この頃の話は、カテゴリーの「幼き頃から」に綴っている。

母を思い出すのは命日でもなく、正月2日の箱根駅伝である。
私が40歳の始めの頃、認知症を発症した母を引き取った。
兄も姉も引き取るのを拒否した。
我が家の子供たちは中学生と高校生であった。
引き取ってから、2年程で認知症はひどくなった。
そんな中でも箱根駅伝を観るのが好きだった母。
高校野球もそうだった。

子どもたちと母が箱根駅伝を観だすと、皆で母を見ていた。
選手がゴールに差しかかると母を見る。
徐々に、顔を歪んで行き、「う~う~」と声をあげて泣くのだ。
選手は次々とゴールでたすきを渡す。
その度に「う~う~」と泣く。何回も泣くのだ。
子どもたちは駅伝には興味もなく、「泣くで~泣くで~」と母を見ている。
そして大笑いするのだ。
単純計算すれば21校×10区だから210回泣いていたことになる。
時には認知症がひどくなるので、家は暗くなりがちの中この日は笑えた。

昔は美しい人と評判だった母だったが、誰もが知る事も出来ない最後があると、
身を持って教えられたのだと、今は十分に分かる。
それ以来母が居なくても、DNAだろうか、今も箱根駅伝は観逃さない私である。
少しゴールで胸が詰まる事もある。やはり・・・・かな?
今も観ながら、綴っている。

今年の初短歌。
「認知症抱えた母を思い出すゴールに号泣す箱根駅伝」

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