うらたじゅんさんの鉛筆画展に行き、帰ってから川崎さんの本を今一度開いて見た。
川崎さんの亡くなられた後、<黄色い潜水艦>の季刊誌・追悼号に描かれていた絵だ。
これが私の店で飲むふくろう好きな川崎さん。
京阪沿線の牧野で暮されていた時代、学生アパートに住まれていた。
まだその頃にふくろうが鳴いていたと言う。
そんな自然豊かなところだったのかと、長年住んでいた私などが川崎さんの世界で、
今頃になり教えられている。そのアパートを引き払われる時、一度だけ書籍の整理に、
行ったことを思い出した。書籍の他は何もない部屋だったと記憶する。
本当に狭い学生アパートで、息子さんが東京から阪神タイガースの大ファンだったので、
試合を観戦にこられた時、店の2階に泊めてくれないかと頼まれた事が、2度程あった。
その事情も引越しの手伝いで全て分かった。頼まれる時も飄々として楽しく息子さんと
酒を酌み交わされていたのも、このカウンターであった。
とても光栄なことに、<短冊型の世界>と言う本の中で私の事が書かれている。
「魯迅と白梅」という詩、その中で酔女として登場している。
40代のころの私である。自慢じゃないがその頃は毎日のように酔女であったと思う。
多くある本の中から、新聞の切り抜きがセピア色になって挟まれていた。
毎日新聞の夕刊に載せられたものだった。大切に取っていたのだと思うとともに、
いろんな事をも思い起こされた。この頃に分からなかった川崎さんの純文学の世界、
今、時間が出来た私に読む事を押されている気がした。
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魯迅と白梅
小さな本棚の上の
魯迅先生の写真の前に
白梅の短枝が活けてある
花器は私の湯飲み茶わんだが
私が活けたのではない
きのうきた酔漢酔女のうちの
一人の酔女のしわざだ
宿六の若い日の卒論が魯迅だった
といっていたっけ