今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

満州からの引き上げの中で・・村上敏明さんの話・1

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京都・市職員会館 かもがわで開かれた講座に出る。
講座はお二人のはなしである。
始めは満州から引き上げて来られた82歳になられる村上敏明さんのはなし。
「第16師団兵士・下村實はゆく」で妹さんの西野ミヨシさんのはなし。

行くきっかけを貰ったのは西野さんと短歌の会でご一緒していて
今回の講演を聞くことになったのだ。
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現在82歳の村上さんの話は、知らない事だらけだった。

1934年からの情勢を話されて、1934年くらいの事は今の時代と似ていると。
1936年から1945年まで岸 信介が満州を支配。

1939年から大連ーー新京に行く。
1940年頃にペストが流行。細菌部隊。
ペスト菌を巻いて実験する。どれくらいで広がるかと。
犬にノミがつく、それを駅などに放す。(新京で)
自分と弟もペストにかかり、子供達だけ隔離される。

父は現地で徴兵される。
満州から引き揚げる話が出た時、妹はまだ一才になっていなかった。
その妹に、「列車、船の旅には、耐えられない。だから殺ろしなさい」
と言う命令が来て、「薬」を手渡され・・・。
家の近くに土葬。その後1996年に四平に行き手を合せる。
母は引き揚げる列車の中でもずっとフミコ、フミコと言っていた。
母はよく(叱られて)という唄を歌っていた。
その母も薬で死・・。その薬をいつもと違う薬だと思いながら渡したのは自分である。
1946年の事である。決して消える事ない重荷を背負っった、11歳の夏だった。
この経験を幼い頃にしているからか、私は感情の麻痺があり、笑ったり、泣いたり、
怒ったりをしないまま、今日まで来たと。
引き揚げて来た時は弟と二人で内地へ。
母方の祖母が見つかり育てられるが、9歳の弟は2ヶ月後病気で死亡。
弟もフミコ、フミコと名を呼んでいた。
父はソ連へ抑留されていた、1948年に帰国。

子共や孫に二度とこんな目に合せてはいけないと。
「今、僕に呼びかけている母とフミコ。八紘一宇・・アジアの人びとへの圧政だったね。
これからは、アジアの人々と仲良くね。あんな加害行為もやめようね 私たちの命の分も生きて!
あなたの子や孫、私の孫や曾孫。いつまでも豊かに、平和に暮せるよう。あなたは努力して!」

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私などが知りえない話で、想像をはるかに超える話だった。
今、本当に若い人たちのこれからがどなるのか、・・。
戦争は何もかも、奪う。
こうした体験を話される人々が、少なくなって行く。
日本は広島・長崎、一瞬にして壊滅された国。
一番に平和を叫ぶ国であるはずなのに・・・。




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