今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

久々の夜遊び

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奈良の一日は充実していて、めずらしくゆっくりぶらぶらし良い夏休みを過ごした気分。

始めに薬師寺にお参り、とても暑い日なのに昼前にはぞくぞくと人、人、人 バスが8台。

元気なのはシニアのおばさんだ。何処にいっても闊歩している。

相手から見たら私もその一人だが。

美しいと思ったのは六重に見えるが三重の塔の東塔。全体として律動的な美しさから

(凍れる音楽)という愛称で親しまれているみたいだ。

その後は唐招提寺にいく。宝殿を出た所で美しい木に出会う。始めて見る木だった。

キササゲという、のうぜんカツラ科で薬用にもなるらしい。実が利尿作用に良いみたいだ。

車を駐車場に入れホテルに。スーパーホテルだが安くて天然温泉だ。自宅から一時間弱の

所で泊まるのも小旅行気分にしてくれた。以前よく行っていた「蔵」と言う店でおでん、少し酔いが

来てホテル近くの店でまた 一杯。良い酒がいっぱいおいてある、店主が気持ちの良い人でぜひ

また行ってみたい店。    浪漫酒茶屋 「四季遊人」でした。

友ともいっぱいしゃべって、笑って本当に良い日、 良い酒だった。

そのうち のの企画奈良ツアーを開催するぜよ!乞う ご期待!

スーパーホテルはなんと 安い!

月曜 金曜 日曜に限り60歳以上3400円で泊まれるのを帰って来てから発見。!

きささげの木


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奈良にて

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うらた

うらたじゅんさんが「黄色い潜水艦」の追悼号に載せたイラストです。

私の引越し祝いに額に入れていただいた自筆です。

ーーーーーーーーーーー

奈良には住んでいる枚方から車で4、50分で着く。

東京の友人が奈良に泊まると言うので久しぶりに出かけた。

奈良は小説家の川崎彰彦さんがこの2月に亡くなられるまで 出版パーティーに

出席したりして出かけることがあったがゆっくりするのは久しぶりだ。

車で走らせながらいろいろと思い出された。

川崎彰彦さんは五木寛之さんと早稲田大学時代の同級生で こよなく酒を愛し続けた人、

牧野に住んでおられたときには店に足しげく通ってくれたダンディな人で帽子がとても

似合っていた。 会った時は酒が原因で一度倒れられた後だ。

その頃は店も賑やかで毎日お祭り騒ぎのような毎日だった。

川崎さんもエノケンの「おれは町中で一番 粋といわれた男・・・」とご機嫌で唄い

店の女の子たちにも人気があった。Pちゃんには「結婚するなら川崎さん!」と言われて

大いに照れている川崎さんだった。18歳の女の子にだ、周りの男どもはやきもちを焼いていた。

牧野の学生アパートに住んでおられ「息子が阪神フアンで東京から来るのでママ、この2階に

泊めて貰えませんか」といとも簡単に頼まれ、こちらもいとも簡単に「いいですよ」と言って

2階に泊まって貰った事もあった。その後奈良の浮見堂の側に引越しされた。一度冬に鍋の

道具をすべて用意してドイツ人が別荘として建てたアパートに何人かでお邪魔した。別荘の後は

ラブホテルになったこともあるらしく階段の赤い絨毯が何とも言えない雰囲気を醸し出していた。

ふんだんに飲んだ私たちは酔いながら奈良公園を散歩、その時に梅一輪を頂き、魯迅の写真の前に

飾り「主人の卒論が魯迅だったんです。」と活けたのを (短冊型の世界)にこんな風に書いてもらえた。

小さな本棚の上の

魯迅先生の写真の前に

白梅の短枝が活けてある

花器は私の湯飲み茶わんだが

私が活けたのではない

きのう来た酔漢酔女のうちの

一人の酔女のしわざだ

宿六の若い日の卒論が魯迅だったと

いっていたっけ

その後 2回目に倒れた川崎さん。

私が精神的に悩んでいた頃、奈良のリハビリテーションにお見舞いに行った事がある。

その時私は何も言わないのに「ママ こんなになったよ。でもママは

惨めになる人ではないから・・・」と。 不自由になった口で言って貰えた私は

帰りに涙が止まらなかった。お見舞いに行った私が慰められ救われた。

何事かあるとき何時も(私は惨めにはならないのだ。川崎さんが言ってくれたわ。)

と自分に言い元気づけられてきた。人は自分は気づかないで言葉で救っていると思う。

うらたじゅんさんが「黄色い潜水艦」の追悼号に載せたイラストです。

店を辞めて5年以上になるが一度も写真など見ても泣いたりしなかったのにこのイラストでは

泣けてしまった。写真よりある意味いろんなものが詰まっています。

川崎さんいつも飲んでいたカウンターですよ。

初盆ですね、川崎さん、どうぞ思いっきり飲んでください。


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幼き頃から・・・15・・ええ事あるから・・

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1年生になって何時も一緒に帰る女の子がいた。どうしても名前が出てこない。

帰る道が同じでその子が先に家に着きそれから時々私の家に来ることがあった。

あんなにいつも一緒だったのにどうして名前が出てこないのか不思議でならない。

洋子ちゃんははっきり覚えているのにこれは残念でならない。

ある日の帰り「ここで待ってて」といつも土手のところで待つように言われ座って待っていた。

家は土手の下で原っぱか畑かの所にある小屋のような建物で窓が木のツッカイ棒で開けている。

その日は中が丸見えだった。昼ごはんで皆何か回してかけている。どうも醤油のようだった。

美味しそうだったので私はそのまま家に飛んで帰り、同じようにご飯に醤油をかけて食べようとした。

母に見つかり行儀が悪いからしてはいけないと叱られた。あの子の所で皆して食べてたと言っても

食べさせて貰えなかった。しかし、母はその子の家の事は何も言わなかった。

またある日、その子に「今日な凄くええ事があるから着いといで!」と誘われた。

行くと大勢人が列を成している。一番後ろに二人で列に着き、歩いて階段を登ったりと

随分と時間がかかったがなかなか<ええ事>が起こらない。

何か妙な気持ちがあったが一人で帰るにも道も分からないし何より<ええこと!>にわくわくしてたから

その場から動けなかった。いよいよ<ええこと>が来た。皆に何か配られている。「これか!」

私の手にも紙に包まれたカステラのような小豆色のお菓子が渡された。

「な!ええことやったやろ!食べて良いよ」と誇らしげに言われた。

少し不安な気持ちを抱えながらも始めて見るお菓子を人から離れた所で二人で食べた。

(美味しい!なんだろう。この味!美味しい!)

でも家に帰って言うと叱られそうでこの事は絶対に言ってはいけない気がした。

どうやら私は在日の人のお葬式に着いて行きお菓子を貰ったみたいだった。

<ええこと>に惹かれ全く知らない人のお葬式に着いていきお菓子を食べた事にホンの少し

(悪いことした)という気持ちを持った。その子も在日だったと後で知る。

しかしそのお菓子の味だけは忘れられずずっと追い求めたが長い間出会うことはなかった。

40歳前に店を始め鶴橋へ買出しに行った時、あった!私の幻のお菓子!長い間探し求めたお菓子!

伸し餅のような大きさで小豆色をしていた。もちろん買っておそるおそる口に入れた。この味だ!この味!

でもあの時の<美味しい!>と言うのではなかった。店の人に聞くとお供え物や日本での法事のような

時に必ず作り、配ったりするらしい。

35年近く探し求めたお菓子に出会ったがあの子の名前は思い出さなかった。

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幼き頃から・・・14・・洗濯板とオペラ

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あっ 今朝も聞こえてくる。<あ~これは 洗濯してるな>母の高い声が聞こえてくる。

大体決まっている時間、兄や姉は学校。私はむっくり起きて母の居場所に行く。

やはり洗濯している。洗濯板に石鹸をつけたシャツをゴシゴシと擦り付けて洗っている。

「ちょいと 姉さん どこへ行く~♪  ちょいと 姉さんどこへ行く~♪

私は村まで水汲みに~♪ 私は村まで水汲みに~あ~~あ~~あ~~♪」

と言う歌詞、この繰り返し、何度も歌いながら洗濯をする。洗濯のときだけ歌っている母。

母に何の歌?と聞いた気がする。母は「オペラ!よ」とうれしそうに答えた。

何のことか分からず<ふ~ん、オペラか!>と一人関心していた。毎朝その歌で起こされていたから

歌詞は間違いが無いが、本当にオペラの中の一小節だったのだろうか?

これは私の中で母の存在として一番なのだった。母はどんな人だったと聞かれたら、

「朝からオペラを歌っていた人、そして私はオペラで目を覚ましてた子!」と言って来た気がする。

思い出が少ない中での強烈な一つなのだ。

山の中腹、 丘のような所で松ノ木にハンモッグを吊り、その中に私をいれて歌っていた。

木にもたれて歌っていたそのとき歌は「黒いパイプ」だ。これも決まっていた。

これは歌詞も覚えていたし 黒いパイプと調べると出てきた。

「黒いパイプ」       作詞サトウハチロウ    作曲服部良一   歌近江俊郎

君にもらった このパイプ    昼の休みに 窓辺によれば

黒いパイプに 青空うつる     黒いパイプに 青空うつる

過ぎし日曜と 同じように    どこからどこまで 晴れた空

黒いパイプに 思い出うつる   黒いパイプに 思いでうつる

母が歌っている途中から私も歌っていた。「本当にすぐに覚えるな、こんな大人の歌やのに」

と母が笑って言っていた。姉は決して歌わなかった。音痴だったから。

「白い花の咲く頃」      歌 岡本敦郎

白い花が 咲いてた   ふるさとの遠い夢の日

さよならと いったら    黙ってうつむいてたお下髪

悲しかった あの時の  あの白い花だよ

これも一緒に歌っていた。ねずみ色の色が言えず幼稚園を落されて傷を持つ身の私と母の唯一の思い出。

母の作った食べ物は覚えていない、遊んだ記憶も無い 本当に何も無いのに歌だけは 残っている。

とても長い長い年月が過ぎいろいろあり、私が年老いた母を引き取ることになる。

お互いどんな生活していたか、どんな癖や食べ物が好きかも知らない親子が生活をする、そうすると

いろんな食い違いを感じる。が母はすでに認知症になりかけていた。

最後には私が誰かも分からなくなって逝ってしまう。

眠っているような母に「あんたの勝ちやと好きに生きたもんが勝ちや!」と。

好きに生きて何も分からなくなり逝き、思い出は「ちょういと姉さん」だけを残して!

その後、遺したものの中から小さなノートを見つけた。

父と結婚しなければオペラ歌手か小説家になりたかったと書いてあった。笑ってしまった。やられた!

「ちょいと姉さん どこへ行く~ちょいと姉さんどこへいく~~

私は村までお使いに~私は村までお使いに~あ~あ~~あ~~」

どなたかこれがなにか オペラなのか何かお教えを~~~死にきれまへんわ~~~。


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菜の花蒸し

nonoblog Post in のの流 うまいものレシピ
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材料

鳥ミンチ       200グラム~300グラム

コーン        冷凍半袋ぐらい

卵           1

土生姜         少々

醤油  酒   片栗 少々

 

作り方

1・・ 鳥ミンチ、 生姜、 醤油、 酒、 卵、 片栗大匙2をいれ混ぜる。

2・・ボールにコーンをいれ 片栗をまぶす。

手のひらに大匙で1の鳥を乗せ2のコーンをつけてのせる。

蒸し器で5分ぐらい蒸す。からし醤油かポンスで食べる。


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ぼくらはもう 夏嫌い!

nonoblog Post in ぼくを楽しんで
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  ぼくはどこにも行かず この家の子になっていおる。

  もう ちびでもない。中ぐらいである。相変わらずチビ太と呼ばれている。

  しかし 暑い。これには参る。夜のいたずらもする元気もない。

  ひたすら涼しいところを捜してごろごろしている毎日だ。

  父や母も一緒でとにかくごろごろしている。住人もみんなごろごろしている。

もうだめ~~~


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幼き頃の・・・・13・・・父の肥え担ぎ

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何故その頃、留守番をしなければならなかったかと言うと家からは、いろんな物がよく盗まれていた。

父や母はだいたい犯人が分かっていたようで誰かが留守番をしていれば誰が来ていたか位

分かったからだと思う。ある日父のワイシャツを台所にかけていたが少しの窓の隙間から何かに

引っ掛けて器用に盗った者がいたらしい。その器用作で「あいつや!間違いない」と話していた。

あいつとは手伝いと称して家に来てたおっちゃんだ。

何をしていたか分からないのだが、少しの大工仕事をしていたり、庭の手入れをしていたりだったが、

どうもその時めぼしい物を物色してたんだろうと父と母は話していたように思う。

ワイシャツは貴重で高級、殆んどは、個人仕立てをしていたので一枚でも大事だった。

だから外には干さず、中に入れていたのを竿と針金のような物で盗ったみたいだ。

以来おっちゃんは現れなくなった。

それだけ世の中は不景気になっていた。ちょうど、1950年頃の世界恐慌だった年だ。

後に社会科などで習ったとき「あぁ~あの頃か」と思った。 父の仕事もいよいよダメになるようだった。

最後の工場で作っていたものが家の中で遊び道具となりごろごろと散乱していた。

それは自転車の鑑札だ。ハンドルのところに、はっきりと分かるように取り付ける物だ。

今だと車のナンバープレイトなんだろう。ナンバーが打ち込まれる仕事だから、その工場としては、

国からの仕事か、府の仕事だったのが取りやめになったのだろう。だから倒産として大きかったようだ。

父は家にいることが多くなる。畑を人に任せていたが自分の所の野菜だけ育てだした。

家から少し離れたイチゴ畑の場所だが日当たりが良いように少し高台にあった。

そこに水や肥料になる肥えを運ぶのは大変な仕事だった。

ましてや素人で社長業が好きな人間だから・・・。<肥え担ぎ・・肥えひしゃくで便所口より汲み取り肥え桶にいれ

天秤の中央をかつぐ>。今だと何のことか分からない人たちが多いと思う。

父も家から天秤棒を担ぎ坂をくだり サンルームから皆が見ている前を通り又、坂を上がりして運んでいた。

2回目位のとき皆が見ている前でひっくり返り肥え桶からの肥えを思い切り被ってしまった。

私達はびっくりと同時に大笑いしていた。一番笑っていたのは母だった。

父は何やら喚いていた。何を言っていたのか分からなかった。

ただ あんなに笑っていた母の顔は忘れない。母の笑った顔を見た最後だったのだと思う。

  肥え担ぎ  荒縄をつけて天秤棒で担ぐ。m_E882A5E6A1B6


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Y嬢と阪神ー巨人戦

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  今年に入って2回目の甲子園、私の師匠Y嬢と阪神巨人戦を観戦に。

  Y嬢は店をしていた時のお客さんで大勢いるお客の中でも1,2を争う涼しげな美人で評判だった。

  これを念頭において欲しい。

  始まっていきなり巨人に2点先制される。 Y[大丈夫 今の阪神はこんなのはすぐに返すから。

  まぁ今日は6対2やな!」と言い切った。 それから出てくる選手への一言一言が可笑しい。

  小笠原 ・・・日本ハムの時は良い奴やったのになぁ~。巨人に行って性格変わったわ!

  阿部に打たれた時・・・「目ぇ~離れすぎているからいろんな角度で見えてんねん。

                城島のサインも見えてんねん!」

  これには知らない隣のご夫人二人も大笑い。こうして知らない人も身内的になるのが良い。

  矢野の大ファンだから味方の城島にも一言・・・「やっぱり矢野やないとあかんな。

                              サインが決まりすぎで分かられる。」

  城島がきっちり抑えて帰る時の顔に一言・・・・・「あのどやさ!顔! 見た?見た?

                          この<どやさ顔!>っていうの分かる人少ないわ!」

  この<どやさ>は<どうだ>と態度で出るのを大阪のりで<どやさ>と言うのが可笑しい!

  私は分かるので大笑いをしたがはてはて本当に分かる人いないかも。

  雨もぽつぽつ降ったりする中延長戦に。11回で3ランを打たれがっくり 席をたち帰路へ。

  久しぶりに声を張り上げて喉もがらがらに。良い試合だったし Y嬢で笑わされた試合観戦だった。

  最後にY嬢「阪神応援していたら下品と思われてしまうからかなぁ~」と涼しげな顔をして、のたもうた。

   結果は一点差で負けた。

                                 


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きらめく星座

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私が昔席を置いてい劇団の公演があります。                                                      

劇団京芸、ありがとう公演。7/22 23 24。



4月9日に作家の井上ひさしさんが亡くなられました。

「きらめく星座」は井上さんの作品の中でも有名な一つで

私が席を置いていた「自立の会」も公演しました。

今回は5年間巡回公演をして来た作品にありがとうの意味を

込めた公演になります。私は舞台衣装を担当したので稽古場に顔をだしています。

改めて良い凄い作品だと思います。

本のなかで竹田という広告文案家のセリフで一番好きな言葉があります。

「にんげん」に関する広告文を頼まれたとしたらこう書くしかない。」

   「この宇宙には4千億年もの太陽が、星があると申します。それぞれの星が

平均十億の惑星を引き連れているとすると惑星の数は約4兆。その4兆のなかに、

この地球のように、程よい気温と豊かな水に恵まれた惑星はいくつあるでしょう。

たぶん幾つもないでしょう。だからこの宇宙に地球のような水惑星がある事自体が奇跡

なのです。・・・・。

水惑星だからといってかならず生命が発生するとはかぎりません。しかし地球にある時

小さな生命が誕生しました。これも奇跡です。その小さな生命が数かぎりない試練を経て人間にまで

至ったのも奇跡の連続です。そしてその人間のなかにあなたがいると言うのも奇跡です。こうして 

何億何兆もの奇跡が積み重なった結果、あなたも私もいま、ここにこうしているのです。

わたしたちがいる、今生きているというだけでもそれは奇跡なのです。人間は奇跡そのもの。

人間の一挙手一投足も奇跡そのもの。だから人間は生きなければなりません。」

   何度も聞いていても毎回感動してしまいます。

  公演は7月22日(木)14:00 19:00 23日(金)14:00 19:00 24日(土)14:00

  前売り・・・・・2800円  高校生以下・・・1500円

  D .D.シアター (劇団稽古場)

  〒612-8279 京都市伏見区納所北城堀31-18  TEL050-3385-3822

 良い作品です。良ければお運びを!

  


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幼き頃の・・・12・・・カシワのすき焼き

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今から思うと、この時代では珍しく、父や母は、子育てでは、進んだ考え方をしていたと思う。

時代の変化もあったが、もともとの考え方がj「自由」だったのだろう。

だから、子育てもいろんな「自由」を、取り入れていたんだと思う。

それがどちらの方針だったかは定かでない。 3人の年齢が違うのに同じ扱いをしていた。

まず、ウサギを一匹づつ飼って育てる。

自分のウサギだから大事に育てるのが当たり前なんだが、何しろ私は幼いから、餌も分からない。

姉たちが取りに行くたんぽぽの葉を見よう見まねで取り、世話をした。

しかし、ウサギに与えてはいけない物は知らなかった。

鼻をクンクンしているのは喉が渇いていると思い、 水を与え死なせてしまった。

朝、小屋をのぞくと柔らかいふわふわした白い毛が濡れたようにべた~っとして体にくっついている。

抱くと木のように硬く冷たい、氷の冷たさよりもっと冷たいと思った。

生きていた者が、こんなになるのだと分かったなんとも云えない最初の感覚だった。

次はイチゴ畑だ。苗を植えた棟を一棟づつ育てる事だった。兄はもう中学生だからやり方を知っている。

私は1年生になったばかり。でも誰も助けてくれない。花は咲いたが実が少ししか生らない。

兄のを見ると藁などを敷いていて親指よりも大きな実がなっている。うらやましい!。

ある日一つだけ、そのりっぱなのをそうっと盗った。が、兄は数えていた。

あの兄だと言う事を忘れてた。 「おまえ!食べたな!!」と言うと同時に拳骨が飛んできた。

もう、イチゴ畑に行くのも嫌になった。 父も母も何も言わなかった。鶏も3人で世話をした。

何羽も居る中で兄が手をかけていた鶏が弱りだした。 父は首のところを掴み、山に行き羽をむしりだした。

兄は「何するねん!」と、喚いて泣いている。 ずっと泣いている兄に、構わず、父はどんどん作業を進めた。

その日の夕食は「かしわのすきやき」。

<わぁ~い!ごちそうや!久しぶりのごちそうや!かしわのすきやきや!>私たちは皆喜んだ。

兄は泣きながら、「これ、さっきのか?わぁ~あの鶏か?わぁ~」と、泣きながらも、

一番に美味しい玉ひもを、涙と鼻水と一緒に口にほおり込んで食べていたのを、私は見逃さなかった。

無茶苦茶な父や母だったがこうすることで、生き者を大事にしてやらないと死ぬ、

肥料や世話をしないと物は育たない。育てた物は大事に食べる。というのを分からせたのかも知れない。

ずいぶんと後になって、こんなところで子供を育てたいと言ったのは母だったと知る。

下の写真も、兄が野球をするための広場だ・・・。これは父の方針だったらしい。

母に抱かれている私。従妹。 泣き虫の兄

母に抱かれている私。従妹。
泣き虫の兄


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