80歳の天皇誕生日の日、今までに一番残っている事として、敢えて口にされたお言葉。
全文が残っている新聞だが、朝日新聞は検索できなくなっている。
メディアも一般的な話は掲載しているが、記者会見のは、載せていない。
これが今の日本の恐ろしい現状だと言える。!
以下 東京新聞
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天皇陛下は傘寿、八十歳の誕生日を迎えられた。
長い道のりを顧みてのお言葉から浮かび上がるのは、戦争への悲痛な思いと平和への願い、
そして年々に深められる国民とともに歩む姿だ。 誕生日恒例の宮内記者会との会見。
この八十年を振り返って、陛下が最も印象に残っていることとして挙げたのは先の大戦。
小学校入学時は既に日華事変、最終学年で太平洋戦争の終戦。
陛下は戦争での犠牲者が三百十万人だったとの数字を挙げ「さまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、
若くして命を失ったことを思うと本当に痛ましい限り」と述べた。
陛下にとって先の戦争での国民の犠牲は昭和天皇から引き継がなければならなかった負の遺産。
終戦記念日、広島と長崎の原爆忌、東京大空襲、沖縄慰霊の日。
皇后さまとともに続ける戦没者への慰霊の旅からは、負の遺産の償いきれぬほどの重さが伝わってくる。
それゆえの平和。「平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法をつくり」
「わが国の人々が払った努力に深い感謝」「知日派の米国人の協力も」。
お言葉の端々に平和への強い願いと深い思いがこもっている。
「天皇という立場にあることは孤独とも思えるもの」と陛下。
その孤独の一端が、国民の圧倒的多数が戦後世代となり、戦争の悲惨も平和の尊さも
知らなくなってしまっていることにあるとしたら、戦争に至った昭和の歴史や日本国憲法の
制定過程はあらためて学び直さねばならないだろう。国として国民として忘れてはならないからだ。
象徴天皇としての在り方を探ってきた陛下は、国民とともにあることを一段と深めているようにみえる。
ことしも東日本大震災の被災者を見舞い、十月、初めて訪れた熊本県水俣市では水俣病患者と懇談、
差別を恐れて病気を隠してきた患者に「真実に生きられる社会をみんなで」と異例の言葉をかけた。
そして、自らの葬儀は、国民の生活に影響しないよう、陵の規模は小さく、土葬から火葬に-とも。
それは理想とされる古来の天皇、無私の存在に通じるといわれる。
年三百を超える公務、宮中行事。天皇、皇后両陛下が八十歳代となる再来年からこどもの日と
敬老の日の施設訪問は若い世代に譲るという。
皇室の未来のためにも公務は引き継がれ、宮家存続も考えられなければならないだろう
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非常にめづらしく、また、重々しく取り上げるべきだと思うのだが、メディアは、
殆ど事実を取り上げてはいない。、
そのすぐ後に今回の安倍首相の靖国参拝である。
彼はこの天皇の言葉をどう取り違えたのだろうか・・・・
このままだとまた、戦争に向いつつある危機感を持っての発言と誰もがそういう風に感じ、とらえた人が
多くあったと、思うのだが立場が違うと、自分に良いように解釈したのだろうか?
今この時期に何故?と、世界中からも避難されているにも関わらずだ。
それとも自分に対し、今の国の方向性を批判され、反発に及んだ反抗期の子供の行動なのか?
2013年、師走一番の寒さ、自分達の身辺が一番寒いよう!