5月7日に朝日新聞に載ったこともあったのだろう、会場は満員だった。
<アメリカ人脱走兵が我が家にやってきた。>
脱走兵が自宅に来た時に、
<メモも取らないで>の中で、よくこの映像を撮られたとその事に先ず驚いた。
夕食を小山さんのお母さんと食べているところからはじまった。
何も知らなければ普通にホームステイをしているように見える。
名前はキャル。彼は19歳。16歳から志願し戦場に送り込まれた。
67年の秋・4人の脱走兵の事はテレビでその後放映されたりしたが、
このように民間人が脱走兵をかくまった話は誰も口にしなかった。
この4人とは違い、彼はただただ、「命を破壊する戦争はいやだ!」だけであった。
お母さんのメモが出てきた。<68年3月2日・・・カーテンを買う。掃除をする。>と。
5日まで滞在し、彼は大阪、京都、和歌山、京都、東京、北海道、カニ漁船でモスクワ
最後はスウェーデンにへ行った。家族の説得で米国に帰ったが、その後は分からなかった。
いろいろ調べて、彼らしき人に連絡。三日前に手紙が来たが、とても苦労をしたらしい。
ハードで苦しい生活が長く続いたらしい。今は平和に暮していると。
脱走兵をかくまった人は、延べにして、1000人位の日本人が関わったとされている。
鶴見俊輔氏「平和憲法を持つ国民の権利であり、義務だ」として。
脱走兵もそんな日本だから来たというのもある。
その頃のべ平蓮→「ベトナムに平和を!市民連合」
小田実、開高健、小中陽太郎、鶴見俊輔、日高六郎、政党や組合などの組織ではなく、
市民による運動、新しいスタイル。
講演の小山氏。 夕食をする。
猫と戯れていた。
本当にこうして映像に残した人は他にないだろう。貴重な経験の話を聞け、充実した時間だった。