すっから<官>と!よう言うた!

日曜日、たかじんは番組で、吠えていた。

「どうせ、カットするやろ!わしは何ぼでも言うたる!あの すっから 官は!何しとるねん!」

  この<すっから 官 >には、お見事!拍手!テレビに向かって送った。

ほら!隠してたやないか!東電!政府!安全委員会、保安院!原発事故<レベル7>やないか!

<御用科学者>も大きな責任あるねんで!安全、安心ばっかりゆうてからに!

はじめからわかってたくせに!国民だけ、隠されていて、諸外国は分かっていたのとちゃうか!

それやったら<、レベル7>がどんなものかを、こと細やかに今すぐに、いわなあかんやろ!

チェルノブイリと 同レベルと言っても、それがどんなことだったか、知らん人が多いんや!

25年、経っても放射能を出し続け、子供達が、がんや、白血病に苦しんでいる現実を知らせろ!

なにをしとんねん!君らは人間の血が流れているのか!ひょっとして、人間じゃないのか!

人間じゃないと言ってくれる方が、国民は救われるわ!もう!人間やめてくれ!

底辺で生きてる人間がつながって、助け合って、あんたらをあてにせんとやっていくしかないな!

 今日はたかじん節で、吠えたくなった!すっから官!!めが!

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<チェルノブイリから、10年が経過した頃の子供、中学生の作文。>

      人々に心からの笑顔はありません。   エメリヤネンコ・ナターリヤ   女12才

  

原子力発電所が爆発し、大変な不幸が私達に襲いかかったのは、1986年のことでした。

すべてのベラルーシ人にとってこれは大きな心の悲しみでした。時々この事故がばかげ夢で、

あるように思われます。あたりは春で、さんさんと心地よい太陽が輝いていますが、もう人々に

心からの笑顔はありません。自分の田舎や、家に思いをはせる人もいます。捨てられた町は、

空っぽで、歩いているのは野良犬くらいで、廃屋や人気のない通りを風が吹き抜けていきます。

チェルノブイリ・・・それはそれぞれの心にパックリと開いた傷です。どこに住もうと、どこで働こうと

、その傷は癒されません。苦しい試練が大部分ベラルーシ人の上に降りかかりましたが、立派に

耐え抜いています。

地球上のわが国・・・それは大きな痛手です。私は心からこの悲しみを感じています。

アナトーリ・グラチェフスキーの詩にこう歌われている。

     おお チェルノブイリ・・・

     チェルノブイリ・・・・

     チェルノブイリ・・・・・

     平和利用の原発などありはしない

     お前はのみこんでしまったのだ

     私達の村を、原っぱを、そして森を

この悲劇は4月26日でした。今年は25年になります。 

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   原発  いらん!関西行動

  集まろう !  中ノ島 歩こう 御堂筋!

 とき   4月16日  中ノ島公園(女神像エリア)

 集会 3:30~4:10  デモ 4:10~5:30

   何十年振りかでデモに参加する。 

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