玉子を産まなくなった・鶏!

  もう、何年ぶりだろう、静岡の友人に、電話をした。

 地震の影響も気になったのもあるが 原発で言えば、浜岡原発に近い。

昔、劇団で旅公演などをし、いろんな所に行った、いわゆる同じ釜の飯を食った仲間だ。

古い映画で言えば「同胞」 (はらから)のようなものだった。

 その頃から、旦那の方は 「原発はあかん」と熱心に言っていた人物だったから、

話を聞こうと、思った。有機農法をする決意で静岡の実家に戻ったのだが、おとうさんからは、

「米作りなんて、そんな、簡単な物じゃない。わしはまだ、60回しか作っていないけど、

いまだに<この作り方が一番良かった>と、言えるのはない!。」と、言われたと。

私はその話を聞いた時、感動したのを覚えている。60回という言葉だ。

60年でなく、<60回>、米は一年に一回、分かりきっている、ごく当たり前の事に感動した。

彼らも、それで名古屋コウチンを育てて有機養鶏に切り替えていったのだ。

まだ、規模が小さい時に一度だけ、行った事がある。みかん山を切り開いての鶏舎だったので、

土地の関係で、可笑しいのは静岡大学の中を通るのだ。軽トラックは大学の受付でパスカードを

見せて通って行くのだ。鶏舎に着いたが、鋭い視線を感じた。鳥たちの険しい目が私に向いている。

こわごわ鶏舎の中に入り玉子を採ったのだが、今にも襲いかかろうとする、雰囲気にびびり、鶏舎を出た。、

外に出たら汗いっぱい搔いていたのを、思い出す。彼らが大阪に用事で一泊した折、お父さんに餌やりを

頼んだらしい。帰るとお父さんは、顔や手が血まみれになっていたらしい。コウチンは敏感で、

いつもと違う服装で入っても、飛びかかってくるらしい。私は難を逃れた方だったみたいだ。

 いろんな試行錯誤をして、今の大きくな規模になっていったようだ。

長い間の距離感や時間経過など、関係なく話せるのは、先日のいわきの友人と同じだ。ありがたい関係だ。

彼女は、「浜岡の事、危機感はもちろん地元の人も、何時も感じているよ。でも、すぐ目の前にある事柄、

やはり、それが現実なんやね、情けないことに。今は、500羽以上のコウチンで有機養鶏を、営んでいる

けど。鶏が地震いらい、玉子を産まなくなってん。大きな取引先は、すぐにキャンセルせざるをえなくなり、

大変なんや。地震で畑なども被害があり、農業なんかも、すぐに自然の影響を受ける。

身近なことから、いろんな事を考えないと、と思うよ。また、連絡するから。パソコンを使わないから、手紙で」

と言って。   情けないことに、どんな言葉も見つからなかった。

 

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