1972年・「アサヒグラフ」・吹きまくったニュースの嵐・・・1

<1972・12・20>・増刊「アサヒグラフ」をずっと持っている。
この時のニュースと今を比べると、ぞっとする。
形は変わってきているが、何も変わってなく今の方がもっとひどいかも!
政府のやり方は変わりなくむしろ光明でスピードをましています。
各地の運動はいつの間にか根絶やしにされたのです。!でもやれることは
やらねば・・・。
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沖縄は復帰したが・・。

読みにくい3段目、

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戦車をベトナムに送るなの合言葉ではじまった
阻止闘争は、幅広く多くの力を結集するに成功した。
輸送が車両制限令に違反するものであったこと、
横浜市長が革新派であったことが、この順法闘争を戦いやすくした。
政府はあいまいな言葉で、違法をとがめ、戦車のベトナム直送に
困惑の表情をつくってみせたあげく、抜き打ちに、法令を改悪
して輸送を強行した。米軍の行動に協力、援助せよ。
これが安保条約の命ずるところだと政府は説明する。
阻止闘争はひとまずおわった。
だが各地で同様の闘争が再発、再々発するであろう。
政府の安保堅持の姿勢はますます露骨になり、
反対運動はひろまり、安保のもつ矛盾はさらに明らかになるであろう。
かって沖縄の基地問題はわが国に突きさされたトゲだった。
復帰後、かえってトゲの痛みは鋭く感じられたのだが、今、本土そのものが、
身にさされたトゲの痛みにめざめ、この痛みを共通にすることで、
沖縄と本土との一本化が始まっている。

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写真の説明

5月15日施政権返還 午前10時半 東京武道館と那覇市長会館で
政府主権の記念式典が行われ、東京会場には、天皇 皇后両陛下が
おめみえになった。アメリカからアグニュー副大統領が出席した。
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沖縄復帰 アサヒ 基地

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写真説明
見なれない形をしている。中央の建物のわきに 自動車が
小さく見えているが これとくらべると 施設のおおきさがわかる。
これは楚辺(そべ)通信所で こには 楚辺海軍通信補助施設がある。

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