今回の、ののが綴る徒然日記テーマ

有座の新年会・

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毎年一月に新年会と総会という形で有座の集まりがある。
もう、12年目になる。森田有さんを偲んでいろんな関係者が、
集まるのだ。有座に森田さんと何らかの関係で繋がった人々の
集いである。亡くなられてもう22年になる。
22年間も森田さんの思い出や残された脚本での上演が、
望まれていたのが昨年有志により、最後の作品「送り火」が、
送り火を上演する会として発足され、2回に渡って上演された。
今年は8月限定で東京公演と京都公演が予定されている。
今年は東京公演をするので、やはり「有座」として公演したいとの提案があった。
飲みながらの総会であるので、意見のやり取りや声も聞こえない状態であるが、一致された。
それよりも有座に参加されていた方々が病気や、亡くなられた方やで、毎年一人二人と欠けていく。
この寂しさはの中でも、その方々とを、繋げていたのは森田さんが、居たからだと再認識した。
今回、始めてお会いした方がいた。草川てつおさんだった。
滋賀県の方で、前から滋賀で生まれた方々の本を書かれてそれを芝居や朗読劇などを、
されていた方だった。中でも竹内浩三さんの詩の朗読劇をされたと言うので、興味深く
話させてもらった。竹内浩三さんの詩の世界を話せたのがうれしかった。
後は野球選手では沢村栄治などのも書かれているとのことだった。
今回、参加して良かったと思った。森田さんの奥さんとの話で、私が演じた演歌歌手が
忘れられないと言われて恥ずかしい想いだった。
芝居をしていた私は私の中では遠のいているのを感じる日でもある。


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森田 有さん・最後の作品「送り火」

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2送り火」1「送り火」IMG_1325

 

 

 

戦後70年を迎えた今年、20年前に書かれた森田さんの最後の作品。

「送り火」放送劇として書かれたものでした。

20年前には放送劇団などで、上演されていました。

今回<「送り火」を上演する会>を立ち上げられ、滋賀のまどい庵での、

上演となりました。まどい庵は古い滋賀から京都へ向かう街道筋・四之宮にあり、

古い民家です。逆光になっていますが奥のすだれから微かに見える庭・

身を置く座敷の雰囲気がこの作品を引き立てていました。

放送劇という制限のある中、朗読と音、ほのかな明りで進められて行きました。

ことばの持つ力で、その世界にいざなう公演・難しいですが書かれている内容・

パンフレットから・・

<迎え火から始まり、盆道を整えて死者を慰め、案じて共に過ごし、送り火で

あの世へ送り返す盂蘭盆行事と終戦日を重ね、生粋の西陣の話し言葉で平凡な

日常が静かに綴られて行く。叙情と余韻を感じさせながらも、その主題は重く、

今も問われることは多い。>

 

8月15日の公演が、また、それぞれの特別な想いへと誘われて行きました。

私の母の命日も8月16日だったのです。

そしてあくる日、元劇団員として舞台を共にした若柳松輔さんがこの日旅立たれたと

訃報が入ったのでした。昨日ご葬儀に行かせて貰いとても不思議な、2日間でした。

 


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劇団かすがい・森田作「日の丸」公演

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劇団かすがい2

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森田有さんの初期の作品で、私達も長く公演をして来た「日の丸」が

尼崎の劇団・かすがいによって上演された。

オープニングの音楽・<私の彼は左利き>が流れると懐かしく、

涙が出そうになった。3年前にもかすがいは「日の丸」を上演された。

この作品を書かれた時の背景には、「日の丸」「君が代」問題が、

激化していた時だったが、今は誰やらさんが、毎日、口にしている

本当は憲法改正をしたくてしたくて、うずうずしているのと、

ここに出てくる校長先生の台詞とか、余りにも我々に突き刺す。

森田さんが書いた時まさかここまでになるなんてと、思っていただろうか?

他の劇団がこうして森田作品を上演され、広がる事は長く関わった者として、

嬉しく思う。劇団かすがいは45年の歴史がある。

今、苦しい状態になっているとの話だった。

どの創造集団も、プロ・アマ関係なく同じようなことが口にされている。

 

 


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「森田有」さんの「日の丸」を劇団かすがいが公演

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2年位前から、この「日の丸」をもう一度上演出来ればと思っていました。
今この日本がどんどんおかしくなる今、森田さんが残した作品を
上演するのが、長く付き合って来た私達の使命のような気がして、
しかし、劇団は解散し難しくなってしまいました。
今回で、かすがいは2回目の公演・楽しみです。
私達もどこかで、力を出し合って公演出来ればと願わずにいられません。
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 日の丸 かすがい 裏


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見のがしたNHKアーカイブス・森田さんの効果

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ルポルタージュにっぽん「帰りたいけど帰れない  ~釜ヶ埼の孤老たち~」
30分/1982年(昭和57年)

1万8千人の単身日雇労働者の町、大阪西成区のあいりん地区(通称・釜ヶ崎)。
帰る場所を見失い、ここに住みついた労働者たちの高齢化が進んでいた。
職もなく自立できない人を収容する大阪自彊館や、安アパートに住む孤独な老人たちは、
いずれもかつて職を求め故郷を離れて来た人々である。
「もう病気になったら死ぬしかない」と語る老人、教会の支給する食事に集まる失業者たち、
その納骨堂には引き取り手の無い遺骨が並ぶ。
遠くふるさとを思いながら、帰る場所のない孤独な老人たちの姿を、
あいりん地区で25年間写真を撮り続けるカメラマン井上青龍(いのうえ・せいりゅう)氏がリポートする。
井上青龍<
語り:
村田幸子
撮影澤中 淳
編集鈴木良子
効果:森田 有
構成:吉岡民夫
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こんな仕事をされていたのを知らなかったけど、NHKアーカイブスで先日放映されたなんて、
みのがしたのが、悔しい。


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うれしい・連絡があった。

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パンフ1

パンフ2パンフ6

 

 

 

 

 

 

 

 

この「森田有」さんの仕事を、私なりにいろんな資料を、

劇団のメンバーから送って貰ったものとかで、ぼちぼちと

まとめて書き出していた。少しでも森田さんの意志を残したいとの

想いがあり、劇団も解散をしたので、公演も出来ずにいる。

昨日突然に東京の劇団「土くれ」の方から、森田さんの戯曲はないかと、

問い合わせがあり、地味にじっくりとやり続けているとこうした事にも

繋がるのだと嬉しく思いました。

どうして知られたかは分からないのですが、森田さんの奥さんに

連絡を取り戯曲は残っていないか問い合わせをし、何とか送る事が出来そう。

昨年は、政治的にはこれからどうなっていくのか!この国は!どんどん森田氏が、

危惧していたように、なって行く。昨年ほど戯曲「日の丸」を上演出来ればと。

しなければと、しかし、そこまでの力も体力も今はない。残念な事に!。

また、ぼちぼちと「森田有」さんの仕事のことを書いていく。


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「おこんじょうるり」の舞台。

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<写真はどの公演のだったかは、定かでない。>

舞台奥のタペスタリー(友人の染色家 斉藤 洋さんの協力)と、赤い風車が印象深かったようだ。
「おこんじょうるり」は、随分と長い間上演した作品だった。

韓国、釜山までの公演になるとは、劇団でも、想像していなかった。

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原作・さねとうあきら
脚色・ふじたあさや 後藤 富美
演出・森田 有
衣裳・野々村三和子
音楽・玉村 信雄
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演者は、その時の劇団員の数や、客演でさまざまだった。

この芝居で印象的だったのは、京都御所の近くでの、<河村能舞台>での経験だった。

能舞台にあがれると言う事自体、普通に芝居をしている我々には、まずはない事だった。

おそれ多い事だった。民謡合唱団「篝」との、合同公演で、実現した。

音楽担当の玉村氏が属していたのと、舞台上で三味線や鳴り物、笛、歌を篝の人の協力を、

得ていた舞台だった。

能舞台の下見のときから、緊張した。

特に余り女性が舞台に上がる事もないのもあるし、舞台には白足袋を履く事が常識だった。

緊張しながら、舞台に上がると板というのだが、足の底を吸い込むような、

不思議な感触があった。トンと足を慣らすとなんとも言えない音の響きがあった。

舞台下に仕込まれた大きな甕の存在があるのを教えられた。

客席から殆どは見れないのだが、大きな石に杭がのっていたりで、日頃の世界とは別だった。

舞台本番でも控え室の立派な事と、お茶を運んで下さる方まで、常に居られるという心くばり。

踊りの師匠が劇団員に居て良かったのはそうした人へのこちらからの心づけや作法を教われたのも、

めったにない経験だった。

能舞台での「おこんじょうるり」はなんとも言えない世界を作り出してくれたのと、貴重な経験を、

させてもらえた。森田氏はこの頃とても元気だったのも、思い出される。


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韓国公演2・釜山の出来事

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パンフ3

1997年 釜山で開かれた演劇祭に招待される。

「おこんじょうるり」をさげてので参加。

この芝居で私は「おばば」をずっと演じ、長く公演を重ねていた作品だ。

一年前の企画団体と、今回のは違う団体だった。

私達はちょっと苦労した公演となった。

到着早々のひと悶着・釜山空港。

大きな荷物は事前に船で発送していたが、手荷物で持ち込んだ中に

芝居なかで使う<たけみつ>(偽の刀)を、取り上げられたのだ。

危険物扱いになったのだ。どんなに偽者で芝居に使うと言っても

聞き入れられず2時間も足止め食った。日本に到着したら送るとの事だった。

劇団員の中で<若柳流の踊りの師匠>がいて、彼の私物でもあった。

とにかく何とか似ているような物を作るしかない。

次の日、釜山の市場を教えられ行ったのは良いが、そこは屋台の市場、

売っているのは、キムチや豚の頭、豚の耳、これでもか!と言わんばかりに

並べられている。そんなところで、刀の材料になるような物があるわけがない。

何とか棒のようなものを買い、アルミホイルを買い、小道具の達人T氏が作ったが、

どう見てもフェンシングのそれだった。

あくる日の舞台、私の身代わりで切られる<おこん>は、フェンシングで、切られた!

殿に仕える者が、フェンシングで、ばっさり!普通なら笑われるが韓国で良かったのかも?

まあ、何とかやり終えた舞台だった。

今回の宿泊は青年の家的な合宿所、シャワーが水、季節は夏に入ってたが、山の上だったので、

すごく寒く、水シャワーは、氷のようだった。

部屋はオンドル、それは良いのだが、毛布を使った全員が、ダニの襲撃にあった。

いろんな思い出深い公演だった。写真はパンフに使われたものだ。

そして<たけみつ刀>はとうとう日本に戻る事はなかった。

 

それから17年経った二年前、いきなり私のメールに、韓国に留学している日本の

青年から連絡があった。O君という学生なんだが、演劇の勉強で来ているという。

その時、このパンフレットを見つけて苦労して私の所にたどり着いたのだった。

彼によると日本の劇団が公演しているという資料など余りなく、いろいろ調べて、

行き着いたということだった。

彼曰く、この時の企画は始めての取り組みの団体だったらしいと教えてくれた。

映画の上映・問い合わせの所のメールがヒットし、私にたどり着いたとの事だった。

インターネットの世界の凄さを実感した出来事だった。


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韓国公演・お国柄さまざま・・

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ぢらいカラー2

前回の韓国公演で、最後の日のパーティーは、バイキング料理あり、

音楽・最後には皆で踊りまくり賑やかで楽しい締めくくりだった。

唯一、残念なのは、言葉の壁!日本チームでは、二人ほどが、英語が堪能なんだが、

後はみんなさっぱりで、手振り身振りで何とか通じたかな?ばっかり!

ああ~やはり、英語が喋れないと・・恥ずかしい・・。

韓国は子供の英語力が高く、外国人を見ると、この時こそ自分の英語力を試すんだと、

ノートを持って寄ってくる。こちらが英語がダメだと知ると、少しだけの軽蔑の目を

投げかけ去って行き、別の国の人と楽しそうに話している。

最近になり日本の子供にも英語力をと、取り組みがはじまっているが、かなりの遅れかと。

韓国では、日本語、英語は生きていく上で必要不可欠なんだ。

大人になってからの就職の選択肢に大きく関わってくるので、幼い頃からそれを叩き込まれる。

しかし、この頃地下鉄やバスやその他でも、英語の案内が全くなくハングルのみ、我々は通訳が

いないと動きが取れなかった。

それは、まだ政府が、戦争の名残りで、英語と日本語は公の所では禁止していた。

だから、芝居で日本語で、公演することも本来ならば異様なことだったのだ。

私達の劇団員は、普段は職業をそれぞれに持っていた。休みを取って参加出来るのは、

せいぜい3日ぐらいだった。

そんな中、2日ぐらい前に現地に入って、交流を深めていてくれたM氏がいた。

彼ももちろん仕事もあり、簡単に休みが取れたわけでもなくが無理をしていてくれていた。

このメンバーの中で一番英語も堪能だったので、私達がついた頃にはすっかり馴染んでいた。

パーティー後劇団のメンバーだけで少し話と酒とを飲み、それぞれの部屋へ。

次の朝、M氏の話し、男の人はその後も、議論白熱、喧々囂々だったそうで、やっとお開き、

T君が居ないことに、気付き探しに出ると、廊下にすっぽんぽんの男性が・・。

Tさん、びっくりし、必死に部屋に運んで、飲み物でもと、廊下に出て進むと、

また、すっぽんぽんの男性!また、出てきたのか!と?思ったら

後ろから大声・・何とこれは中国の劇団員「何処にでもこんなのが、一人はいるんだ」とM氏が、

朝、面白おかしく報告をしてくれた。そのM氏は、この後仕事を退職し、劇団も退団、残念だった。

私には良いアドバイスをくださっていて、森田さんとは長い良い友人だった。今一度会って見たい。


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「ぢらい」・世界演劇フェティバル・韓国公演に

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通行証 パンフ2 パンフ1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パンフ2 パンフ1

 

 

 

 

 

 

1996年10月 韓国に「ぢらい」の公演に行く。

今の状況は分からないが、その頃の韓国は国全体が、演劇に非常に力を入れていて、

いろんな町の小劇団の為にも、劇場や稽古場なども設置し、協力をしていた。

そうした環境もあり、世界演劇フェスティバルも、何度か開催されていた。

開催地は、何年か前に、一世風靡したドラマ「冬のソナタ」のロケ地

<春川>(チュンチョン市)だった。学生が多く、最も美しい町だと、教えられたが・・。

残念な事に、私達の殆どは、劇場しか見ていない日程だった。

何処でも同じで、公演で行くと周囲に何があったとか、名産はなんだったか、

全く知らずに帰って来る。今、思うと、二度と行けていないので惜しい事をした。

劇中の言葉は自国ので演じるが、あらすじなどは、ハングルと英語に訳されていた。

そのパンフレットも非常にりっぱな物だった。参加した劇団は飛行機代だけを負担する。

いろんな面で優遇されていたが、ホテルはそんなに立派で はなかった。

しかし、24時間ホテルのフロントには、警察が警備しえくれていた。日本人だったからか?

翌朝、バスでアメリカの劇団員を迎えに行って、驚ろかされた。

私達のホテルは、民宿のようなホテルで、アメリカのは、数倍りっぱな高級ホテルだった。

どこで、そんな差別か区別かをするのだろうと、かなりショックを受けた。

なんとなく、芝居を通じて、自然と、仲間意識が出来つつあった。

同じように参加し、演じて、交流する目的なのに、いつでもどこでもアメリカは強いのだろうか?

後ほど聞くとどうやら勘違いで、今回のメインの招待劇団ということだったらしい。

どうにも、いかんせん、ひがみ根性が身についていて・・。

<春川>は、北に近い所にあったので、空港からバスに乗っての移動だった。

北に近づくにつれ、銃を持った兵士が、バスを止め、荷物や車の後ろなど調べる。

それは、日本ではない異様な光景なので、そのたびに妙な緊張と相俟っての好奇心!

同じバスに乗っている韓国の人には、なんでもない日常だったようだ。

そんな味わえない、貴重な経験が、出来たのも「ぢらい」の戯曲のおかげで感謝!。