「ぢらい」の本に寄せられた言葉。
劇作家 芳地隆介氏より。
跋 世界で一つの作品集
もう少し、突っ込んだ議論ができる時間があろうと、ぼくは期待していた。
現状をどのように理解しいかに解釈するか、という点において優れた彼の感性が、
やがて人間はどうあるべきか、という視野におどり出ようとするとき、彼の芸術的主張が
いかに展開されるであろうと、それがぼくの、森田有に対する深い関心であった。
議論は平行線かもしれぬ、或いは白熱し続けるかも知れない、という強い期待があった。
その相手の一人を失ったという感慨は痛切である。また一人戦士が、むろん同士が倒れた、
と言う深い感慨におそわれた。
ぼくの「黄金の海を見ていた」という作品を近藤公一先生演出、いまは亡き市田真一さん
リーダーで演られたときであった。ぼくは、効果は誰がやられたのか、と思わず観劇後即座に、
聞いた記憶がある。音の出し方の柔軟性にびっくりしたのである。それが森田有であった。
プロの仕事、と言えばそれまでであるが、彼となら一緒に仕事が出来る、思える人はそう多くはない。
早速、東京の効果マン志望の青年に紹介したのだが、その彼が森田君を心酔したのはいうまでもない。
そして、いきなり本を書き出したのである。東京からはそう見えたのである。それまでも幾多の
経過があってのことであろうが、それが「日の丸」であった。これまた瞠目させられた。
東京公演をということで六本木の「アクト飯倉」で、我が集団との併演をやったのであるが「日の丸」の
舞台に、強い衝撃を受けた観客が多くいたのはいうまでもない。
上京の折の、すべての機会というわけではないが、時折遠慮がちに電話がかかってきて、新宿で飯を
食い飲んだものだが、しかし彼は寡黙なほうであったから、どちらかと言えば、ぼくのほうが、よく多く
しゃべっていたように思う。話の後半では、ワープロでもいいから、書いた戯曲を本にしたら、
と薦めていたのであるが、恥ずかしそうに、しかし所在なさそうに、彼はいつも生返事であった。
知る由もないけれど、どんな想いが交錯していたのであろうか。
が、とにもかくにも、作品が残されていて、作品集が編まれるというのは、遅すぎる作業ではあるが、
もう一度丹念に読ませてもらえるという、ぼくたちにとっては、ある種救いであろう。
世界で一つの、かけがえのない作品集である。
芳地 隆介
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森田さんは、女性からも男性からも慕われた人であった。
どちらかと言うと男性の方が、強く深く信頼と尊敬の念を抱いた方が多かったと思う。