森田 有 略歴

「ぢらい」の本のあとがきより。

順序が本当に後先になってしまった。

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1939年 生まれ。

音響効果マンとしてフリーで仕事をする。主にNHK京都・大阪制作番組

(報道ドキュメント)の音響・効果。

最新作「チャリー18歳の旅立ち」(NHK京都制作4月放送)

以上は、森田さんが必要になって書いた略歴である。

1994年9月1日 膵臓癌のため死亡。

1994年10月1日 日本劇作家協会新人戯曲コンクールにて

「北九州市長賞」受賞。受賞作 「ぢらい」。

ーーー以下「ぢらい」の本・序に寄稿された「菊川徳之助」の言葉を一部紹介。

「芸術創造行為そのものに生きた人」

森田さんを知ったのは、<音響>をやられている方、としてであった。

音に関しては、非常に厳しいものをもっている人であったが、その他は、温厚で、

比較的無口で、そして、遠慮勝ちに笑う人であった。

その森田さんが、あんな軽妙で社会性のある<戯曲>を書く人とは、その時は想像出来なかった。

しかも、実に細部に目と気を配った<演出>をする人、とは思えなかった。

省略

最初に会ってから4年後、ブレヒトの「シモーヌ・マシャールの幻覚」

(近藤公一演出)というお芝居で、僕は(役者と演出補)、森田さんは音響での、

初の出会いとなった。トップシーンで、タイヤの修理をしているぼくの演技に、

<そのタイヤの金属のところを叩いて下さい>と僕に言った。

金槌が金属に当たる音が、その芝居の幕開きを透き通るものにした。

音一つで、舞台が生きることを森田氏は、実によく知っていたことになる。

この時以来、森田氏の音のセンスにすっかりいかれてしまった。

省略

森田氏の作品の台詞は、一見、別役風ではあるが、森田氏はやはり関西の人だ。

その台詞は、関西風味付けで、軽妙洒脱だ。その前に、タイトルの付け方が実に面白い。

「日の丸」などとヌケヌケした題名を付けたかと思えば「ジャンケン・ポー」と言う憲法を、

もじったような、そしてまた「希望ォ・します」とは、<あの方>そのものを連想させる

面白いものだ。この作品集に収録されなかった「夢から醒めたい夢見たい」と言う作品は、

最初<鞍馬天狗>と考えていると聞いていた。

最後の上演となった「ぢらい」は<地雷>ではなく<自雷也>が候補であったそうだ。

かなり深刻なタイトルであった<あの日に帰りたい>という作品の中に<あの方>らしい人が、

パックされたノリを両手で叩くシーンがある。その時、音がする。ポンと。

そのポンという音が、起こった時、同時に一人の人間が殺される。

<あの方>らしい人の、何気ない身振りが、蔭で人間の命を奪っているのだ。

これは、すごい表現であった。しかし、その表現も、実に軽妙に表出される。

こんな軽妙な面白い人が、なぜ、膵臓癌などになるのであろうか。

55歳の若さで、なぜ、そんなに急いで天は、彼を呼んだのであろうか。森田氏は、確かに、

なかなか哲学的な人でもあった。やさしく見えるが、いや、実際にも優しい人ではあったが、

一方、妥協を許さない厳しい人でもあった。

森田氏が天に召されたという実感はまだない。その日がやって来たとき、彼の存在の大きさに、

気付く者はおおくいるだろう。その時この「作品集」をじっと見て、森田さんの存在をまだまだ、

実感したく思う。せりふだけでなく、音も聞こえてくる気がする。

創造集団『     』(アノニム)代表

近畿大学演劇専攻助教授




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